世界史

突厥|モンゴル高原を支配したトルコ系遊牧騎馬民族

突厥 突厥(552~744)とは、アルタイ山脈を本拠地とするトルコ系遊牧騎馬民族の国家。当初は、柔然に服属していたが、6世紀頃、アルタイ山脈の鉱物であった鉄とその製鉄技術と草原の道とよばれる交易の利益を背景に大帝国を建設した。その後、...
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東匈奴|東西に分かれた匈奴,漢への降伏

東匈奴 東匈奴とは、紀元前60年ごろ、モンゴル高原栄えた国家であり、匈奴が漢の侵攻によって東西に分裂した国の一つである。西匈奴との対立が悪化した。東匈奴の呼韓邪(こかんや)単于は漢に投降することで、漢の後ろ盾を得、西匈奴と抗争を繰り広...
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司馬遷|『史記』を書いた漢の最大の歴史家

司馬遷 司馬遷(前145頃~前86頃)は、前漢、武帝時代の歴史家である。父の後を継いで史官となる。前99年匈奴に捕らえられた将軍李陵(りりょう)を弁護して、武帝の怒りにふれ宮刑に処せられたが、以後、全力を傾けて『史記』130巻を完成し...
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蔡倫|製紙技術を発明した漢の官僚

蔡倫(?~121頃)の後漢の宦官で、従来使われた紙よりもより安価で作成できる製紙法を発明した。105年、「蔡侯紙」と呼び名をつけ、和帝に献上した。 製紙技術 蔡倫は、これまであった製紙技術をベースに樹皮・...
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匈奴|秦や漢をおびえさせ続けた騎馬遊牧民

匈奴 匈奴は、トルコ系もしくはモンゴル系とされる騎馬遊牧民で東アジア最初の遊牧国家を建設した。戦国時代になると、匈奴は中国の北辺に侵入して、燕・趙・秦などの諸国を脅かすようになり、これらの諸国では国境線に防衛のための城壁(長城)が築か...
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漢の内政|400年続いた漢王朝の政策

漢の内政 漢は一時、新に滅ぼされるもの、その前後の前漢、後漢合わせて400年以上続いた王朝であるが、その内政は、比較的安定した王朝であった。科挙制度の前進となる官吏登用法や通貨・文字の統一など統一国家の中国としての整備が整えられた。ま...
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漢|朝鮮から中央アジアへ400年続いた王朝

漢 漢(前202~後220)は、秦につづく中国の統一王朝である。まずは劉邦が前漢を立て、一時、新となるものの、後漢を打ち立てた。この間の約400年間、政治的にほぼ安定し、中国的制度や文物の原型が形成されたため、漢土・漢人・漢字・漢文な...
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後漢|ローマ帝国へ、シルクロードを生んだ中国王朝

後漢 後漢は、新を倒した劉秀が再建した漢王朝である。都は洛陽におかれ、東漢とも呼ばれる。後漢は、家族連合政権の性格を持ち、前半は政治的に安定し、後半は積極的な政策を行い、西域経営を進め、シルクロードと呼ばれる、西側との交易の道を確立し...
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シルクロード|漢-インド-ペルシア-ローマ帝国を結ぶ交易の道

シルクロード シルクロード(絹の道)は、洛陽・長安から甘粛をへて敦煌から西域南道または西域北道(天山南路)を通り、パミール高原を越えてイラン・メソポタミアをへて地中海沿岸に達し、東西文化圏を最短距離で結ぶ。約1万3000m。東からロー...
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冒頓単于|劉邦を打ち負かした匈奴の名君

冒頓単于 ぼくとつ ぜんう 冒頓単于(ぼくとつ ぜんう)は前漢時代の匈奴の名君で、混乱していた内外モンゴルを平定し、高祖(劉邦)を平城(今の大同)に包囲して、和親を結ばせた。それ以降、漢は貢物を納入することになる。さらに西はジュンガリ...
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