秘密投票法
秘密投票法とは、投票者の氏名と投票内容の結びつきを外部から分からないようにする制度を定めた法律であり、近代的な選挙制度を特徴づける仕組みである。とくにイギリスでは、1872年のBallot Actによって秘密投票が制度化され、従来の公開投票からの大きな転換が実現した。この改革は、名望家に依存した伝統的な政治文化から、政党組織と政策本位の政治へと移行していく契機となり、イギリスのヴィクトリア時代の政治史上、重要な位置を占める。
19世紀イギリスの公開投票とその問題点
19世紀前半のイギリスでは、投票は広場や酒場の前で有権者が支持候補の名を口頭で宣言する公開投票が一般的であった。選挙区の多くは、土地を所有する名望家が有権者を事実上支配しており、雇用関係や家主と店子の関係を利用した圧力が容易に行われた。1832年の第1回選挙法改正で選挙区の不均衡は是正されつつも、公開投票そのものは残され、買収や威嚇といった不正は続いた。この状況は、保守党や自由党といった政党が勢力を拡大していく中でも、大きな政治問題として意識されるようになった。
チャーティスト運動と秘密投票要求
1830年代から40年代にかけてのチャーティスト運動は、人民憲章において普通選挙権や議員報酬とともに秘密投票を要求した。工業化の進展と都市労働者の増加によって、政治参加の要求は高まり、公開投票のもとで雇い主に投票行動を監視されることへの不満が強まっていった。チャーティストの請願は議会で否決されたものの、労働者や中小市民層の間に、投票の自由を確保する制度としての秘密投票法の必要性を広く浸透させる役割を果たした。この流れは後の二大政党制のもとでの政党対立にも影響を与えた。
選挙法改正と秘密投票法の成立
1867年の選挙法改正(第2回)によって都市労働者層の一部に選挙権が与えられると、有権者数は大きく増加したが、公開投票の慣行はなお温存されていた。その後の政治過程では、ディズレーリ率いる保守党と、グラッドストン率いる自由党が、拡大した有権者層の支持獲得をめぐって競い合うようになる。こうしたなかで、グラッドストン内閣は選挙の公正さを確保し、不正や威嚇を抑える手段として秘密投票法の制定を進め、1872年にBallot Actを成立させた。この改革は、ヴィクトリア女王治世下の政治改革の一環として位置づけられる。
秘密投票法の具体的内容
秘密投票法は、投票手続を詳細に規定し、投票の秘密を守るための具体的な仕組みを導入した点に特徴がある。
- 標準化された投票用紙を用い、有権者は投票所内の投票ブースで候補者名に印をつけることとした。
- 投票用紙には有権者の氏名を記載せず、投票箱に投入された票からは投票者を特定できないようにした。
- 投票所の管理を国家・自治体の公的権限の下に置き、開票や記録の手続も法律で統一した。
このような制度設計により、投票行動は家族や雇い主、地主から切り離され、個人の良心に基づいて行われるべき行為として再定義されたのである。
秘密投票法の意義と影響
秘密投票法の施行は、選挙における露骨な買収や威嚇を減少させ、有権者が比較的自由に投票先を選択できる環境を整えた。その結果、候補者は金銭や恩恵ではなく、政策や政党綱領によって支持を訴える必要に迫られ、近代的な政党政治の形成が促進されたと評価される。とくに、ヴィクトリア朝期における自由党と保守党の対立構図は、有権者が社会改革や帝国政策といった争点を基準に投票するという新しい政治文化を生み出した。また、イギリスの制度は他国にも影響を与え、「Australian ballot」として知られる秘密投票方式が、各国で模範とされるようになった。こうして秘密投票法は、近代民主主義の重要な前提である「自由で公正な選挙」を制度面から支える基礎となったのである。