保守党
保守党は、イギリスにおける代表的な政党であり、英語ではConservative Partyと呼ばれる。17世紀末から18世紀にかけて国王と国教会を支持したトーリー党を起源とし、19世紀のヴィクトリア朝の時代に近代政党としての形を整えた。現在まで長期にわたり政権を担ってきた中道右派政党であり、伝統的な制度と漸進的改革を重視する「保守主義」の代表的担い手であると同時に、資本主義経済や帝国政策、福祉政策など、イギリス政治の基本方向に大きな影響を与えてきた。
起源と歴史的背景
保守党の起源は、17世紀後半の名誉革命期に王権と国教会を支持したトーリー党にさかのぼる。トーリーは急進的な議会派に対して王権と伝統的秩序を擁護する立場をとり、その流れが19世紀に「Conservative」という名称を公式に採用した政党へと発展した。産業革命が進展し、社会構造が大きく変化するなかで、保守党は貴族や地主層を基盤としながらも、新興の産業資本家や中産階級を取り込むことで、広い支持を獲得していった。この時代背景は、同じく19世紀イギリスを扱うイギリスのヴィクトリア時代やロンドン万国博覧会に関する議論とも深く結びついている。
ヴィクトリア朝における展開
ヴィクトリア女王の長い治世のもと、保守党はイギリス政治において重要な役割を果たした。ディズレーリらの指導のもと、帝国主義的な外交政策と限定的な社会改革を組み合わせる路線がとられた。選挙法改正による選挙権拡大が進むなかで、党は都市の熟練労働者や中産階級を取り込むため、福祉や住宅政策にも一定の関心を示した。こうした動きは、ヴィクトリア朝の社会秩序を維持しつつ、新たな有権者層に対応しようとする保守党の柔軟性を示している。
20世紀の保守党政治
20世紀に入ると、保守党は二度の世界大戦と帝国の解体、福祉国家の形成といった大きな変化に直面した。第一次世界大戦後には、労働者政党の台頭によって二大政党制の構図が固まり、保守党はもう一つの主要政党とともに政権を交互に担う体制を築いた。第二次世界大戦期のチャーチルによる挙国一致内閣、その後の福祉国家と混合経済を受け入れた「戦後コンセンサス」、さらに後年のサッチャーによる民営化・規制緩和など、市場重視の路線は、ときに急進的な性格も帯びながら保守主義を再定義していった。
保守党の理念と政策
保守党は、一般に次のような理念と政策的特徴を持つ政党として理解される。
- 伝統的制度(君主制、議会政治、法の支配)の維持を重視する姿勢
- 社会変化を急激な革命ではなく、漸進的改革によって実現しようとする態度
- 私有財産と市場経済を尊重し、企業活動の自由を重視する経済観
- 家族や地域共同体など、中間団体の役割を重んじる社会観
ただし、時代によって強調点は変化しており、サッチャー期には市場原理と小さな政府が前面に出たのに対し、他の時期には福祉や社会的安定を重視する現実主義的な政策が採用された。急進的な体制変革を志向する無政府主義やアナーキズムと対照的に、保守党は既存秩序の枠内での調整と妥協を基調としている点に特徴がある。
組織と支持基盤
保守党は、中央党本部と全国各地の選挙区協会から成る組織構造を持つ。伝統的には地主貴族や実業家、中産階級が主な支持層であったが、20世紀以降は郊外に住む中流・下層中流の有権者、地方の小規模事業者、公務員などにも支持を広げてきた。労働組合を基盤とする勢力と異なり、職業や階級よりも、国家と秩序、安定した経済成長への期待を共有する有権者を幅広く取り込む傾向がある。こうした多様な支持層をまとめ上げるため、党内には経済自由主義的なグループや、伝統的価値観を重視するグループなど、複数の潮流が共存している。
国際的文脈と保守党
保守党は、イギリス国内にとどまらず、世界の保守主義やナショナリズムの潮流とも関係している。19世紀ヨーロッパでは、ロシア帝国やバルカン地域での民族運動や露土戦争、知識人層の形成をめぐるインテリゲンツィアのような動きが見られたが、イギリスでは保守党が議会政治の枠組みを維持しつつ、帝国と国民国家のあり方を調整する役割を担った。急進的な革命思想や過激な大衆運動に対して距離をとりながらも、必要な改革を受け入れることで長期的な統治を可能にした点に、イギリス保守主義の特徴がある。このように保守党は、国内政治の中心であると同時に、19〜20世紀ヨーロッパ史を理解するうえでも重要な位置を占めている。