湾岸協力会議|中東・ペルシア湾岸地域における地域協力機構

湾岸協力会議 Gulf Cooperation Council

湾岸協力会議(わんがんきょうりょくかいぎ、英語:Gulf Cooperation Council、略称:GCC アラビア語:مجلس التعاون لدول الخليج العربية))は、1981年にサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、バーレーン、カタール、オマーンの6カ国が結成した、中東・ペルシア湾岸地域における地域協力機構である。1981年5月25日にアブダビで設立。主に軍事、経済、文化、情報、社、司法などの分野で協力を行うことを目的としている。本部はサウジアラビアの首都リヤドに置かれている。この組織の設立は、イラン革命やソ連のアフガニスタン侵攻、イラン・イラク戦争などの地域的な安全保障上の危機に対応する目的もあった。

正式名称

正式名称は、Cooperation Council for the Arab States of the Gulf(湾岸アラブ諸国協力会議、CCASG)で日本政府での呼称は湾岸協力理事会(GCC)という。

設立の背景

湾岸協力会議は、1979年のイラン革命、同年のソ連のアフガニスタン侵攻、1980年のイラン・イラク戦争の勃発により地域の安全保障上の危機が高まったことを背景に設立された。1981年5月にアラブ首長国連邦のアブダビで開催された6カ国の首脳会議で設立が決定された。

組織の目的と構成

主な目的は、加盟国間の緊密な協力と協調を通じて、石油航路の安全を確保し、経済的な統合を進めることである。また、地域の安定を維持するための集団防衛を目指している。構成メンバーはすべて君主制の国であり、イバディー派のオマーンを除くと、すべてスンニ派が影響力をもつ組織である。

設立後の活動

湾岸協力会議は設立以来、いくつかの重要な活動を行ってきた。1990年8月に始まった湾岸危機では、反イラクの共同防衛体制をとり、1991年の湾岸戦争後はアメリカ主導の軍事同盟に傾いた。しかし、加盟国内には領土紛争があり、1992年の国防相・外相会議ではカタールが不参加となり、内部対立が表面化した。

内部対立と調整

湾岸協力会議内では、サウジアラビアとカタール、カタールとバーレーン間での領土紛争が存在し、これが会議の運営に影響を与えている。1995年の首脳会議では、サウジアラビア国王の病気欠席、カタール首長の共同宣言採択拒否、1996年のバーレーンの首脳会談ボイコットなど、内部対立が続いた。

経済的協力

経済的な側面では、湾岸協力会議は2003年に関税同盟を結成し、域内の経済協力を強化している。

日本との関係

日本との関係では、GCC諸国から大量の原油や天然ガスを輸入しており、2006年には日本との間で自由貿易協定(FTA)交渉の初会合が行われた。

安全保障

湾岸協力会議は安全保障面でも重要な役割を果たしている。1991年の湾岸戦争では合同軍を編成してクウェート解放を支援し、2011年のバーレーン騒乱では初めて域内での軍事警察行動を行い、反政府デモを鎮圧した。また、イエメン騒乱においても調停案を提示するなど、地域の安定化に向けた努力を続けている。

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