法家|法治主義を説き、秦の覇道を支えた,韓非子

法家

法家は、諸子百家の一つで、無力な礼ではなく、君主の定めた法による信賞必罰を励行し、人民を統治することを主張した学派である。斉の桓公に仕えた管仲をもち、韓に仕えた申不害と、奏に仕えた商塾・韓非・李斯が有名である。戦国時代は富国強兵が優先し、国力の増強の中では、孔子が説くような礼治主義は政治的にその実行力が失われていた。そこで法律に法的強制力を持たせることを重要視する法による支配を説いた。

商鞅

商鞅(前103~前338)は法家を始めた人物の一人。衛の公子。秦の孝公に仕えて法治主義によって国政を改革(変法)を実施した。富国強兵を推進して実績を上げた。孝公の死後、反対派により、かって自分が制定した車裂きの刑で処刑された。

変法

変法は、商鞅の実施した富国強兵策で、行政制度や戸籍の整備、度量衡の統一などがその代表である。

韓非

韓非(?~前233)は、法家を大成させたことで知られる。韓の王族。李斯とともに荀子のもとに遊学して儒教を学んだ。やがて、秦の商鞅や韓の申不害らの法思想の影響のもとに、法律と刑罰に基づいて国家を治める法治主義に基づいた富国強兵を実現する。法家思想を大成し、『韓非子』を著した。のち、泰に仕えたが、同門の李斯に謀られ毒殺された。主著は『韓非子』。

法治主義

韓非子は、人間を利己的で常に利害を打算する本性を持つとして、法や刑罰の強制によって社会秩序を維持する法治主義の必要性を説いた。政治は、統治のための技術と定義し、国政の規準としての法律と臣下を操る法術を国家統治の根本原則とした。さらに、臣下を操る「二つの柄」は賞と罰であり、法の規準に照らした信賞必罰が必要だとした。

李斯

李斯(?~前208)は法家。楚の出身で韓非とともに荀子に学ぶ。秦王の政(始皇帝)に仕え、法家思想に基づく政策を進言し、統一を完成させた。丞相として権力をふるったが、2世皇帝のとき刑死した。