東匈奴|東西に分かれた匈奴,漢への降伏

東匈奴

東匈奴とは、紀元前60年ごろ、モンゴル高原栄えた国家であり、匈奴が漢の侵攻によって東西に分裂した国の一つである。西匈奴との対立が悪化した。東匈奴の呼韓邪(こかんや)単于は漢に投降することで、の後ろ盾を得、西匈奴と抗争を繰り広げた。

匈奴の繁栄

前200年、匈奴の君主である冒頓単于は軍事力を背景に国を拡大していき、前200年には漢の高祖(劉邦)に勝利して、毎年貢物を漢から得た。

東匈奴の誕生

しかし、前2世紀後半、国力を蓄えた漢の武帝によってゴビ砂漠の北に追いやられ、衰退にむかい、前56年ころ東西に分裂した。

漢との臣従関係

前51年、東匈奴の呼韓邪単于は漢に和親を申し入れ、臣従関係を結んだ。匈奴の分裂後、西匈奴は、キルギス草原に移動した。前36年、前漢の西域都護の甘延寿の攻撃をうけて滅亡した。この頃、元帝の宮女の王昭君が呼韓邪単于に降嫁された。

東匈奴の南北の分裂

前漢)を倒して王葬による新が打ち立てられると、東匈奴(匈奴)は再び活発な活動を開始し、後漢の光武帝の派遣した遠征軍を撃退、復興の兆しがみえたが、後48年、内紛によって匈奴は南北に分裂し、南匈奴は後漢に降伏することになる。南匈奴の人々は、万里の長城の北部で暮らし、以降、中国の北部の守備としてその役割を担うことになる。この南匈奴の人々は後、五胡のひとつである匈奴となる。