律令国家による司法制度
律令は儒教の徳治主義を取り入れていたが、それは刑法である律によくあらわれ、律は「懲粛」を目的とされた。律令では現代のように司法と行政の区別がなく、行政官庁で裁判を行った。中央では諸司、地方では郡司が下級裁判を担当し、上級裁判は、中央では刑部省・太政官、地方では国司が担当した。
罪科では、八虐がもっとも重い罪とされ、天皇・国家・父母にそむく者など国家の存続に関わるものが刑罰の対象となった。刑罰には、一般に科される正刑と有位者・僧尼に科される閏刑とがあったが、正刑は答・杖・徒・流・死の五刑、20等があった。皇族・貴族には六議などがあり、刑が減免された。
目次
思想
律令国家の司法には、天皇の絶対性と儒教の教化主義が反映されている。中国に比べると緩やかではあったが、国家や社会の秩序を維持するため、国家や天皇、存続に対する罪は特に重く設定されていた。
八虐
八虐は有位者でも積みを減免されず、音写も赦されない規定であった。
- 謀反:天皇を危うくする罪
- 謀大逆:皇居や山陵をこわす罪
- 謀叛:国家に反逆する罪
- 悪逆:祖父母・父母を害する罪
- 不道:一家3人以上殺したり、傍系尊属を殺そうとしたりする罪
- 大不敬:神社をこわす罪
- 不孝:祖父母・父母を訴えたり、ののしったりする罪
- 不義:主人や国主などを殺す罪
五刑
- 笞:むちで打つ刑で、10~50の数により5等
- 杖:杖でたたく刑で、60~100の数により5等
- 徒:禁固刑で、1~3年の期間により5等
- 流:配所に流す刑で、遠流・中流・近流の3等
- 死:死刑で、絞・斬の2等であるが、斬のほうが重たかった。
また、死刑は薬子の変(810年)から保元の乱(1156年)の間、政府によっては行われなかった。
六議
- 議親(天皇・三后の親族)
- 議故(天皇の厚遇を得た者)
- 議賢(大徳行のある者)
- 議能(才能のある者)
- 議功(国家に功ある者)
- 議貴(三位以上)