律令国家における身分階級|良民と賤民

律令国家における階級

古代日本では律令制を整えていく過程で身分階級が固定化した。律令国家は大部分の部民を解放し、これを公民として掌握して主な租税負担者として、その収奪の上に天皇と皇族・貴族による支配機構がつくられた。大きく良民と賤民に分けられ、良民は皇族・貴族(有位者)・公民・雑色(ぞうしき)に分けられて、貴族以上が支配階級を構成した。

目次

良民

良民には公民と呼ばれる一般農民の他、皇族・皇親や貴族といった支配階級、公民よりも一段低い身分の雑色(品部・雑戸)があった。雑色(品部・雑戸)は賤民ではないが、半自由民で特殊な工芸技術をもち、政府の工房で働き、調・庸のかわりに手工業製品を納入した。

貴族・皇族

貴族の中でも有位者は課役その他の義務の全部または一部を免除されただけでなく、皇族と三位以上の貴族には食封(封戸)として一定の戸が与えられ、五位以上の貴族にはその位に応じて位田・位禄(いろく)が与えられ、その位に相当する官職について季禄・職田・公廨(くがい)田を受け、さらに功労に応じる功田(こうでん)、勅旨による賜田(しでん)などが与えられた。
皇族と三位以上の貴族は刑罰を減ぜられた。五位以上の子孫には蔭位の制があった。こうして、皇族と五位以上の貴族はさまざまな特権を受け、中央政府の高位高官を占めたが、六位以下の者は、かっての伴造・国造の子孫が多く、下級官吏の職につき、季禄が与えられた。

公民

公民とは、生産階級で、人口の大部分をしめた。公民以下は官位をもらえない被支配階級である。公民はかっての部民が家族の支配を離れたもので、かれらは班田農民とも呼ばれ、口分田を与えられて生産労働の中心をなし、国家に対して租・肩・調・雑徭(ぞうよう)・兵役などの負担を負った。

雑色

良民の最下層に置かれた雑色は品部(しなべ)・雑戸(ぞうこ)に分かれ、かっての部民がそのまま残されたもので、いずれも官司に属し、特別な手工業的な技術をもっており、労役奉仕をしたり、手工業製品を上納したりした。

五色の賤

賤民は五色の賤と呼ばれる、陵戸・官戸・家人・公奴婢・私奴婢に分けられていた。

賤民

賤民は、良民との通婚を禁じられ、独立の人格を認められない奴隷に近い存在だったが、人口の1割にみたなかった。陵戸(りょうこ)は天皇や皇族の陵墓の守衛で雑色と同じだったが、職掌がいやしいというので賤民に入れられた。
官戸・家人は官司や個人に属した推奴隷で、家族生活を営むことが許され、売買されなかった。公奴婢・私奴婢は政府や個人に属した奴隷で、売買された。陵戸・官戸・公奴婢は官司に属し、公奴婢には恩赦によって官戸になり、さらに良民となる規定があった。官戸・公奴婢は口分田を良民と同じにされたが、個人に属した家人・私奴には民の3分の1の口分田が与えらた。

良・賤の婚姻

良・賤の婚姻は禁じられたが、実際にはあとをたたなかった。645(大化1年)「男女の法」では、良賤の通婚により生じた子は賤とすると定めたが、789(延暦8)年の格で、良賤間の子をすべて良とするとした。しかし、賤民には庸・調・兵役などが課されなかったので、賤のままとどまる者が多かった。


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