延暦寺|比叡山にそびえる日本仏教の母山

延暦寺

延暦寺(えんりゃくじ)は、滋賀県大津市坂本本町に所在する、標高848mの比叡山全域を境内とする寺院である。平安時代初期に最澄(伝教大師)によって開かれた日本天台宗の総本山であり、山号は比叡山。日本の仏教史上、鎌倉新仏教の開祖たちが修行を積んだ「日本仏教の母山」として知られ、1994年にはユネスコの世界文化遺産に登録された。広大な境内は東塔(とうどう)、西塔(さいとう)、横川(よかわ)の三つのエリアに分かれ、これらを総称して比叡山延暦寺と呼ぶ。

沿革と歴史

延暦7年(788年)、最澄が比叡山に「一乗止観院」を建立したのが始まりとされる。最澄の没後、弘仁14年(823年)に嵯峨天皇から当時の元号である「延暦」の勅額を授かり、正式に延暦寺となった。平安時代を通じて朝廷や公家の帰依を受け、都の北東に位置することから鬼門を守護する国家鎮護の道場として隆盛した。一方、次第に独自の軍事力を持つ「僧兵」が台頭し、強大な勢力を誇ったが、元亀2年(1571年)に織田信長による焼き討ちを受け、全山が灰燼に帰した。現在の建物の多くは、その後の豊臣秀吉や徳川家康の尽力により再建されたものである。

三塔の構成

延暦寺は三つの地区に分かれており、それぞれに本堂が存在する。

  • 東塔:延暦寺発祥の地であり、総本堂の「根本中堂」が位置する中心エリアである。
  • 西塔:第2世座主の円澄によって開かれ、最古の建築物である「釈迦堂」が所在する。
  • 横川:第3世座主の円仁によって開かれ、舞台造りの「横川中堂」を中心に静寂な修行の雰囲気が残る。

根本中堂と不滅の法灯

東塔にある根本中堂は、延暦寺最大の仏堂であり、国宝に指定されている。その内陣には、開創以来1200年以上絶えることなく灯り続けている「不滅の法灯」が安置されている。この灯火は、最澄が自ら刻んだ本尊の薬師如来の前に供えたものと伝えられ、信長による焼き討ちの際も立石寺(山寺)に分灯されていた灯火を戻すことで守り抜かれた。「油断」という言葉の語源はこの法灯の油を絶やさないよう注意することに由来するとも言われている。

日本仏教の母山

延暦寺は、後に日本仏教の諸宗派を開いた高僧たちが若き日に修行した場所として知られている。法然(浄土宗)、親鸞(浄土真宗)、一遍(時宗)、道元(曹洞宗)、日蓮(日蓮宗)、栄西(臨済宗)など、鎌倉新仏教の宗祖の多くが比叡山で学問と修行に励んだ。このように、各宗派の源流となったことから、延暦寺は日本の宗教史上、極めて重要な地位を占めている。

主な文化財と堂宇

名称 区分 備考
根本中堂 国宝 延暦寺の総本堂。現在の建物は徳川家光による再建。
大講堂 重要文化財 学問修行の道場。比叡山で修行した宗祖の木像が祀られている。
転法輪堂(釈迦堂) 重要文化財 西塔の本堂。秀吉が園城寺の金堂を移築したもの。
法華総持院東塔 再建建築 最澄が日本全国に建立を計画した六宝塔の中心。

修行と行事

延暦寺は現在も厳しい修行の場であり、特に「千日回峰行」は日本仏教の中でも屈指の難行として知られる。これは、7年間にわたり比叡山の山内を歩き続け、延べ約4万キロを走破するものである。また、毎年6月4日には最澄の命日を偲ぶ「山家会(さんげえ)」が行われるほか、除夜の鐘や四季折々の法要が営まれており、参拝者は宿坊である延暦寺会館などで座禅や写経の体験を行うことも可能である。

アクセスと観光

比叡山へは、滋賀県側の坂本ケーブルや京都府側の叡山ロープウェイを利用して登ることができる。山内は比叡山ドライブウェイや奥比叡ドライブウェイが整備されており、三塔を巡るシャトルバスも運行されている。山頂付近からは琵琶湖や京都市街を一望できる絶景スポットも多く、秋には紅葉の名所として多くの観光客が訪れる。延暦寺の歴史的景観と自然環境の調和は、訪れる人々に荘厳な印象を与え続けている。

関連リンク

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