国連平和維持活動 PKO
国連平和維持活動(PKO)は、国際連合が地域紛争の再発や拡大を防止するために行う活動である。これらの活動は、国連安全保障理事会や国連総会の決議に基づき、紛争当事国・当事者の停戦や派遣合意の下で実施される。軍隊や文民が派遣され、停戦や兵力引き離しの監視、治安維持、選挙管理などを行う。1956年のスエズ戦争時に初めて大規模なPKOが行われ、その後もカンボジア、旧ユーゴスラビア、ソマリアなど多くの地域で実施され、地域紛争の沈静化に中心的な役割を果たしている。
概要
国連平和維持活動(以下、PKO)は、平和維持に関する活動一般を指すのではなく、国際連合が行う特定の活動を意味する。これらの活動は、武力衝突を伴う紛争や事態の平和的な収拾を図る努力の一環として行われる。具体的には、国連が軍事監視団や平和維持軍を現地に派遣し、停戦や兵力引き離し、撤退の監督、休戦ラインのパトロール、非武装地帯の査察、治安維持などの任務を遂行する。
初期の活動と発展
PKOの初期の例としては、インドネシア(1947)、パレスティナ(1948)、カシミール(1949)での停戦監視活動が挙げられる。1956年のスエズ動乱の際には、国連総会の決議に基づき国連緊急軍(UNEF)が派遣され、これが大規模な平和維持活動の先例となった。その後、コンゴ紛争(ONUC)、西イリアンの国連保安軍(UNSF)、キプロス内戦(UNFICYP)、第4次中東戦争(UNEF II、UNDOF)、南レバノン(UNIFIL)など多くの地域で活動が展開された。
冷戦後のPKO
冷戦後、PKOはその役割と規模を拡大した。1990年代には、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)、国連ソマリア活動(UNOSOM)、旧ユーゴスラビアの国連保護軍(UNPROFOR)、国連モザンビーク活動(ONUMOZ)などのPKOが実施され、地域紛争の沈静化に貢献した。
日本の参加
国内で議論が沸騰したが、日本は1992年に「国連平和維持活動協力法」を制定し、PKOへの参加を開始した。しかし、憲法上の制約から、自衛隊の参加は後方支援活動に限定されるという形で加入している。
PKOの基本原則
PKOの基本原則は以下の通りである
- 関係国、特に受け入れ国の要請や同意を前提とすること
- 国連の直属の機関として国際的・中立的性格を持つこと
- 戦闘を目的とせず、軽火器の使用は自己防衛の範囲内に限られること
- 紛争当事者に対して中立的立場を維持し、国内問題に介入しないこと
- 経費は原則として国連が賄うこと
伝統的PKOと強制力の導入
伝統的PKOは、自己防衛の範囲内でのみ武力を行使する原則を持つが、冷戦終結後、一部のPKOでは強制力の導入が試みられた。しかし、この試みはソマリアや旧ユーゴスラビアの例で成功せず、伝統的PKOの重要性が再評価されている。
新たな局面
PKOは、冷戦終結後の地域紛争の多発に対応するため、複合的な機能を持つようになった。平和維持軍、停戦監視団、選挙監視団などが連携し、政治的解決を目指す活動が増加している。今後も国連平和維持活動は、国際社会の平和と安全を維持するために重要な役割を果たすことが期待されている。