周の東遷|周の衰退と犬戎の侵略

周の東遷

周の東遷は、周王朝の衰退のなかで西北から異民族がしばしば侵入したが、西周第12代の幽王のとき、犬戎(けんじゅう)(チベット系)によって都の鎬京が攻略され、前770年、周は都を東の洛邑(現在の洛陽)に移した。

目次

自立化

血縁に基づく宗族的秩序のうえにたつ西周の封建制度は、時代がくだるにつれ、周王と世襲諸侯の血縁関係がしだいに希薄になっていった。諸侯は次第に自立化していき、周は弱体化が進んだ。

東周

周の東遷以後のを東周(前770~前256)という。周の東遷は周王の権威を大きく失墜させ、諸侯は東周の権威から離れ独立していく。こうして中原(黄河中・下流の平原部)に割拠していたが、諸侯は互いに争う乱世となった。周の東遷以降、秦によって中国が統一されるまで、およそ550年におよぶ戦乱の時代が春秋・戦国時代であり、その前半を春秋時代(前770~前403)、後半を戦国時代(前403~前221)と呼ぶ。