ロナルド・レーガン|俳優から政治家に転じた第40代大統領

ロナルド・レーガン Ronald Wilson Reagan

ロナルド・ウィルソン・レーガン(Ronald Wilson Reagan 1911年2月6日 – 2004年6月5日)は、アメリカ合衆国の政治家および俳優であり、第40代大統領(在任1981年 – 1989年)として知られる。俳優から政治家に転じ、カリフォルニア州知事を経て大統領に就任し、レーガノミクスと呼ばれる経済政策や強硬な対ソ連外交を推進した。任期中には冷戦終結に向けた動きも見られた。退任後はアルツハイマー病を公表し、公の場にはほとんど姿を見せなかった。

生い立ちと俳優としてのキャリア

ロナルド・ウィルソン・レーガンは、1911年2月6日にイリノイ州タンピコで靴セールスマンの次男として生まれた。ユレイカ大学を卒業後、地方局のスポーツアナウンサーとして働き始めた。1937年にはハリウッド入りし、50本以上の映画に主演するが、主にB級映画の俳優として知られる。代表作には『キングズ・ロウ』(1941年)がある。

政治への転身

レーガンはもともと民主党支持者であり、フランクリン・D・ルーズベルト大統領を尊敬していた。しかし、映画俳優協会の会長を務める中で政治的に右傾化し、1962年には共和党に転じた。1964年の大統領選挙でのバリー・ゴールドウォーター候補への応援演説が評判となり、1966年にはカリフォルニア州知事に当選。1970年に再選され、州財政を黒字に転換した。

大統領就任と1期目の政策

1980年の大統領選挙では、現職のジミー・カーターを破り、大統領に就任した。彼のスローガンは「強くて豊かなアメリカ」であり、対ソ強硬路線を取りながら軍備を拡大し、社会福祉支出の抑制や規制緩和、大幅な減税を行った。これにより、「レーガノミクス」と呼ばれる経済政策を実施し、経済成長を促進した。

外交政策と軍事行動

レーガンは外交面で強硬策を採用し、レバノンへの軍派遣、リビア爆撃、グレナダ侵攻、ニカラグアの反政府勢力(コントラ)支援などを行った。これにより、第三世界の不信を招くこともあった。

2期目のスキャンダルと冷戦終結への貢献

1984年の大統領選挙でウォルター・モンデールを破って再選されたが、2期目にはイラン・コントラ事件などのスキャンダルが発覚し、政権への批判が高まった。しかし、レーガンはソ連との対話を重視し、ミハイル・ゴルバチョフ書記長との首脳会談を通じて中距離核戦力全廃条約(INF全廃条約)を締結するなど、冷戦終結に向けた道筋を築いた。

退任後と晩年

1989年に大統領を退任した後、レーガンは1994年にアルツハイマー病であることを公表し、公の場にはほとんど姿を見せなくなった。11年間の闘病生活の末、2004年6月5日に93歳で死去した。

評価

レーガンの大統領在任中の政策と行動は賛否両論あるが、彼の「レーガノミクス」は経済成長を促進した一方で、国家財政の大赤字を招いた。また、彼の外交政策は冷戦終結に貢献したと評価される一方で、強硬な軍事行動は第三世界の不信を招くこともあった。彼のリーダーシップとコミュニケーション能力は多くの国民から高く評価され、「偉大なコミュニケーター」とも称された。

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