リクルート事件
リクルート事件は、1986年9月にリクルート社が政界、経済界、マスコミ界の実力者に子会社であるリクルートコスモス社の未公開株をばらまいた汚職事件である。この事件では贈収賄罪などで12人が起訴され、1989年春には竹下登内閣が総辞職に追いこまれる事態となった。リクルートコスモス社の未公開株の譲渡は、中曾根康弘、竹下登、宮沢喜一、安倍晋太郎、渡辺美智雄など自民党の派閥領袖クラスの政治家をはじめ、野党議員も含む広い範囲で行われていたとされ、一大疑獄事件となった。
事件の経過
1988年に発覚したリクルート事件は、1988年6月にリクルートコスモス社の川崎市助役への贈収賄事件が明るみに出たことから始まった。この事件はリクルート社の業績拡大を狙った、政財界有力者への未公開株の譲渡・売却という贈収賄事件に発展した。1989年には江副浩正リクルート社前会長、真藤恒NTT前会長、藤波孝生元官房長官ほか多数が逮捕・起訴された。
政治家の関与
リクルート事件には多くの有力政治家が関与していたことが明らかになった。当時の内閣官房長官・後藤田正晴や元総理大臣・中曽根康弘の関与が注目された。中曾根康弘は自民党を離党し、竹下登内閣は総辞職に追い込まれ、やがて離党する。これにより、自由民主党は大きな打撃を受け、国民の信頼を大きく損なうことになる。
官僚の関与
リクルート事件には文部省(現・文部科学省)や労働省(現・厚生労働省)の官僚も関与していた。特に各省庁の高官や地方自治体の首長などが未公開株の譲渡を受けていたことが明らかになり、行政の信頼も失墜することとなる。事件は単なる政治問題を超え、行政全体の信頼性を問うものとなった。
起訴
文部省(現・文部科学省)や労働省(現・厚生労働省)の官僚、NTTの経営者らも有罪判決を受けたが、政界では自民党の藤波孝生(労働大臣、官房長官を歴任)のみが受託収賄罪で起訴され、1999年に有罪が確定した。
社会への影響
リクルート事件は日本社会に大きな影響を与えた。政治・行政の不正行為が明らかになったことにより、国民の信頼が大きく損なわれた。これにより、政治改革や行政改革の必要性が強く叫ばれるようになり、日本の政治・行政システムに大きな変革をもたらす契機となった。
政治・行政改革
リクルート事件を契機に、日本では政治。行政改革が進む。特に選挙制度の見直しや政治資金規正法の改正などが行われ、政治の透明性を高めるための取り組みが進められた。これにより、日本の政治システムは徐々にではあるが、改革の方向へと進んでいく。同時に官僚の透明性を高めるための取り組みが進められ、行政の信頼性を回復する改革も行われた。