メソポタミア文明|メソポタミア地方で生まれた太古の文明

メソポタミア文明

メソポタミア文明はティグリス川・ユーフラテス川流域のメソポタミア地方でできた都市文明である。最初の都市文明を築いたのはシュメール人であったが、平坦で開放的な地形のため、セム系やインド=ヨーロッパ系の遊牧民、山岳丘など戦争が絶えず、国家の勃興が激しい地帯で会った。メソポタミア文明は粘土の文明といわれ、粘土によってレンガや文字盤などが作られ、ジグラットという塔も作られていた。

オリエント(西アジア)

オリエント(西アジア)

目次

エジプト文明の交流

メソポタミア文明とエジプト文明はユーラシア大陸の西南部とアフリカ大陸東北部とにあって、地理的にも歴史的にもたがいに密接な関係を有し、ともに古代オリエント世界の中心をなした。

メソポタミア地方

メソポタミア文明は、メソポタミア地方で生まれた。メソポタミアとは、「川のあいだの地域」を意味し、ティグリス川・ユーフラテス川流域にある。肥沃な三日月地帯と呼ばれ、最古の農耕文明発祥であった。

都市国家

メソポタミア文明は、シュメール人による多くの都市国家の連合関係によって成り立った。これらの都市国家は独立性が高く、主導権の争いをかさねながら隆盛にむかい、メソポタミア地方で最初の高い文化を形成した。代表的な都市国家は、ウル、ウルク、ラガシュである。

神権政治

メソポタミア文明の各都市国家では神権政治が行われた。都市は神が支配すると考えられ、最高の神官でもある王が神の名の下に統治が行われた。土地は神のものとされ、市民は神殿に共同体に属し、神殿に納められた税を国庫として運営された。外国との外交や交易も神殿が独占し、戦争も神の名においてなされた。

粘土の文明

メソポタミア地方は乾燥しており、草木は生えにくく、シュメール人は粘土によって文明を築いた。日干しレンガや円筒印象、楔形文字を書き写す板などが利用された。最古の都市ウルのジグラット(ウル第3王朝創始者ウル=ナンム王が建てた聖塔)は日干しレンガを積んだ3層の基壇の上には月の神の神殿があった。

ジッグラト(聖塔)

チョガ・ザンビール

チョガ・ザンビール

ジッグラトはシュメール時代から、メソポタミア諸都市で建設された聖塔で守護神を祭る神殿である。。数層の基壇からなり、レンガで建設された。チョガ・ザンビールは『旧約聖書』の「バベルの塔」伝説の原型とされる。メソポタミアから影響を受けたエラム国のもので、高さは50mmあった推定される。

チョガ・ザンビール上空

チョガ・ザンビール上空

『ギルガメシュ叙事詩』

『ギルガメシュ叙事詩』は、ウルクの王とされる、古代メソポタミアの英雄ギルガメシュの伝説的叙事詩である。『旧約聖書」の「ノアの箱舟」の原型とされる洪水説話が含まれていることで知られる。ノアの洪水伝説とは『旧約聖書」の「創世紀」の説話で人類の堕落を怒った神が、大洪水の難を人類に与えるが、ノア一家を唯一の人類として残すために箱舟の製作を命じて、難をのがれさせたとする物語である。

楔形文字

楔形文字

楔形文字

メソポタミア文明では楔形文字が使われた。シュメール人が絵文字から発明した。粘土板に草の茎や金属の尖端またで押しつけるようにして書かれたため、一つ一つの字画が楔の形をしている。神官や書記が祭祀・法律・歴史などを書くのに用い、アケメネ朝の滅亡まで古代オリエントで広く使れた。

粘土板

粘土板は、楔形文字を記載するために用いられた。日干しにするか、焼いて堅くして保存された。

印章

メソポタミア文明では、印章も作られた。楔形文字を刻み込んで製作し、契約のために使用した。

六十進法

メソポタミア文明では、六十進法という記数法が発明された。天文上の円周分割から始まり、角度・時間の単位となった。

太陰暦

太陰暦は月の満ち欠けの周期を基準とする暦。メソポタミア文明に始まったとされる。、現在ではイスラーム世界でのみ用いられている。また太陰暦とともに1週7日制もメソポタミア文明から始まった。

ウル第3王朝

ウル第3王朝(前2113頃~前2006頃)とは、シュメール人が建てた最後の王朝である。王朝の創始者ウルナンムが発布した法典は、現在最古の法典として知られる。アッカド人の侵攻からシュメール勢力の復興が図られた王朝であったが、シリア砂漠よりセム系遊牧民のアムル人の侵入で倒れた。

農地

メソポタミア文明の農業は、中世ヨーロッパの10倍以上の高水準であった。しかし高温の乾燥地での灌漑農業は激しい水分の蒸発によって塩分が集積するので、塩害がおこる。脱塩するためには排水が必要であるが、土地が極めて平坦なメソポタミアでは排水が容易ではなく、耕地の塩化が進む傾向があり、さらに水流が緩やかであったために水路が泥土の沈殿で埋まりやすく、増水期にはしばしば大洪水に襲われた。

多神教

メソポタミア文明では各地・各都市の守護神や自然神を祭る多神教がとられた。優勢な民族の交代が頻繁だったため、その時代によって崇拝される再更新も子割った。古バビロン王国では、バビロン市の守護神マルドゥクが国家神として祭られた。

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