ブディ=ウトモ|インドネシア民族運動の先駆者

ブディ=ウトモ

ブディ=ウトモは、オランダ領東インドにおいて最初期に結成された近代的な民族団体であり、インドネシア民族運動の出発点とされる組織である。1908年にジャワ人エリート層の青年たちによって結成され、教育の振興とジャワ社会の向上を目標に掲げた。のちにインドネシア共和国では、この結成年にちなみ5月20日を「民族覚醒の日」として記念し、同団体を本格的な民族覚醒の象徴として位置づけている。

成立の背景

19世紀末から20世紀初頭にかけて、オランダ本国は「倫理政策」と呼ばれる統治方針を掲げ、現地住民に対する一定の福祉や教育の拡充を進めた。この結果、ジャワを中心に西洋式教育を受けた先住の知識人層が形成され、近代的な民族意識や政治意識が芽生える土壌が生まれた。とくにジャワ人官吏や学生から成るエリート層は、伝統文化の尊重と社会的地位の向上を同時に追求しようとし、その欲求がブディ=ウトモの創設へと結びついたのである。

結成と組織の特徴

ブディ=ウトモは、バタヴィア(ジャカルタ)の医学校STOVIAの学生たちが中心となって1908年に結成された。結成にはワヒディン=スディロフスドの奨学金構想の影響が大きく、若い医学生ストモらがその理念に共感して組織化を進めたとされる。会員は主としてジャワ人の官吏や学生、知識人などに限定され、農民や都市の庶民は含まれなかった。このため、活動基盤はジャワ人エリート層に偏り、地域的にも民族的にも「ジャワ中心」の団体という性格が強かった。

活動内容と路線

ブディ=ウトモの主要な目標は、ジャワ社会の道徳的・文化的水準と教育水準を高めることであった。具体的には、学校の設立や奨学金制度の拡充、講演会・集会の開催などを通じて、知識の普及と文化の振興を図った。また、オランダ当局に対しては、請願や陳情という穏健な手段によって行政改革や教育政策の改善を求めた。植民地支配そのものの即時打倒を掲げることはなく、当初はオランダ王室への忠誠を前提とした協調的な路線をとった点に特徴がある。

他の民族運動との関係

ブディ=ウトモは、その穏健さとジャワ人中心の性格ゆえに、やがて広範な大衆を組織する団体によって影響力を奪われていく。1910年代には、商人層や都市庶民、農民を巻き込んだサレカット=イスラームなどの団体が急成長し、民族運動は宗教や経済問題とも結びついた大衆運動の段階へ進んだ。これに対しブディ=ウトモは、エリート主導の文化・教育運動の枠を大きく超えることができず、インドネシア民族運動全体の中では次第に周辺的な存在となっていったのである。

歴史的意義

それでもなお、ブディ=ウトモがインドネシア史に占める意義は大きい。同団体は、オランダ領東インドにおいて先住民自身が近代的な組織形態をとり、民族や社会の将来を自覚的に論じ始めた最初の例とみなされるからである。西洋式教育を受けた現地エリートが政治空間へと一歩を踏み出したことは、その後続々と結成される政党・団体の先駆となり、のちの独立運動の担い手を育てる場ともなった。ジャワ中心で穏健な限界を抱えつつも、ブディ=ウトモは「民族覚醒の第一歩」を象徴する存在として、現在もインドネシア近代史研究において重要な位置を占めている。

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