ヒッタイト|鉄製武器を最初に使用した古代の王国

ヒッタイト

ヒッタイトは、紀元前2千年紀前半からアナトリア半島(現トルコ)を中心に興隆したヒッタイトは、古代オリエント世界で強大な勢力を誇った国家である。インド=ヨーロッパ語系民族で、前17世紀半ば頃、小アジアにハットゥシャ(Hattusha)を都とする王国を建て、前16世紀初めにはバビロン第1王朝を滅ぼした。その後ミタンニを破り、シリアに進出してエジプトと争い、前14世紀に最盛期を迎え、楔形(cuneiform)文字で記された多くの粘土板が出土しており、条約や法律、王碑文など豊富な文献資料を通じて政治・軍事・経済・宗教など多面的な社会の実態が明らかになっている。強力な戦車部隊を活用して周辺地域に軍事的優位を確保し、その後に培われた製鉄技術によって鉄器時代の幕開けを後押しした。前12世紀初め、「海の民」の侵入によって滅亡した。

歴史的背景

アナトリア高原は高地と山岳地帯が多く、外敵からの侵入が比較的困難な地域であった。この地に定住したインド・ヨーロッパ語系の人々が初期のヒッタイトを形成し、各部族や都市を緩やかに統合する形で国家へと成長したと考えられている。紀元前17世紀から16世紀にかけて強力な王たちが登場し、周辺の小国家を併合しながら領土を拡大、紀元前14世紀頃にはシリア地方への進出を果たし、エジプト新王国とも覇権を競う規模にまで勢力を伸ばしていった。前1200年ころになると、東地中海地方にあらたに民族移動がおこり、「海の民」によってヒッタイトは滅亡に追い込まれる。

古代オリエント

前15~前14世紀にかけて、古代オリエント世界は、ヒッタイト、ミタンニ、カッシート、ヒクソスを追放して新王国時代にはいったエジプトの4国が共栄共存する繁栄期をむかえるようになる。

インド=ヨーロッパ語系民族

原住地とされる中央アジアや南ロシアより前2千年紀初頭に移動を開始したインド=ヨーロッパ系諸族は、他の民族も巻きこんでオリエントに波状的に侵入した。馬にひかせた戦車で編成された彼らの軍隊は、そのすぐれた機動力をいかして先住民を次々に撃破し、各地に征服国家をたてた。これによって、エジプトも含めてオリエントの各地方の接触が促され、ひとつの世界としての古代オリエントが形成されるようになる。ヒッタイトは、インド=ヨーロッパ語系の言語を使用する民族で、古代オリエント文明を担った。民族としては、その他イラン人などがあげられる。かってはカッシート王国やミタンニ王国を建てた民族も該当するとされてきたが、近年では不明とされている。

ヒッタイト王国

ヒッタイト王国はハットゥシャを都とし、前1650年ころには強力な帝国に成長した。前16世紀の初めには古バビロニア王国との戦争に突入するが勝利し、これを滅亡に追い込んだ。首都はハットゥシャ(Hattusha)で、小アジア中央部の遺跡が残されている。

カデシュの戦いKadesho

古バビロニア王国との戦いに勝利したヒッタイト王国は、前14世紀に最盛期を迎えるが、この頃は南進してミタンニ・エジプトと抗争した。前13世紀の初頭では、北進してきたエジプト新王国のラメス2世と、シリアの覇権をめぐって争うが、これをカデシュの戦いと言う。

特徴

ヒッタイトの社会は多様な民族の融合によって成り立ち、土着のアナトリア文化と近隣のメソポタミアやシリア地方の影響が複雑に交錯していた。その結果、楔形文字で書かれた文献のみならずルウィ語(Luwian)など多言語の資料が見られる。国王は神権的性格を備え、最高司祭として祭祀を執り行う一方で、国民軍を率いて領地を防衛・拡大する役割を担った。官僚制度や文書管理が発達しており、行政面でも高度な組織化が図られていたことが判明している。

学術的意義

  • 多言語の文献:ヒッタイト語やルウィ語、フルリ語などが並存しており、比較言語学的な資料として価値が高い。
  • 製鉄革命:鉄器の普及が地域の軍事・経済構造を大きく変化させ、その後の文明発展につながった。
  • 国際条約の先駆:カデシュ条約をはじめとする外交文書は、国家間交渉の史的発展を示す重要な一例となっている。

対外関係

ヒッタイトは同時期のバビロニア、ミタンニ、エジプトなどと外交・戦争を繰り返しながら勢力を広げた。中でもエジプトのラメセス2世との間で結ばれたカデシュの戦い(紀元前13世紀頃)に関する条約は「世界最古の国際条約」として知られ、対等な関係で和平を成立させた点が注目される。またシリア・パレスチナ地域の覇権をめぐる紛争では、互いに同盟関係を模索しつつ、複雑な国際関係を展開していたことが文献からうかがえる。

軍隊

ヒッタイトの軍隊は、馬と戦車に加えて、鉄製武器を活用して勢力を伸ばした。特に馬を使った兵器はこのころ初めて確認される。前1200年には滅亡することになるが、それ以来、ヒッタイトに独占されていた鉄製武器がオリエント全域に広まることとなる。

製鉄技術

ヒッタイトが歴史上特筆される一因は、鉄の精錬技術をいち早く確立した点にある。青銅器から鉄器への移行は古代社会にとって画期的であり、製鉄炉の温度や還元技術の向上によって硬く丈夫な武器や道具の量産が可能となった。強度に優れた鉄製の剣や鎧が軍事力を一段と高め、経済面でも鉄の取引が重要な地位を占めるようになった。こうした技術的優位がヒッタイトの強勢を支える要因の一つだったと考えられている。

政治体制

ヒッタイトの王は絶対的な権力を有しつつも、王族や貴族、さらに宗教指導者による合議体制が存在したとされる。王位継承は血統を重視する一方で、王族間の内紛も多かったため、しばしば混乱を引き起こした。文書資料には国王の勅令や法典が残されており、農民や職人の身分規定、商取引、婚姻などが細かく規律されていた。こうした成文化された制度は、領土内の多民族を束ねるための統治基盤となり、後の古代国家の法整備にも影響を及ぼした。

経済活動

アナトリア半島には農業に適した平野部も存在し、小麦や大麦などの穀物生産が盛んであった。さらに牛や羊などの家畜飼育や、山岳地帯を利用した鉱物資源の採掘によって豊富な物産を得ることができた。また隊商路の要衝を支配することで交易ルートを管理し、青銅や貴金属をはじめとする各地の産物をバビロニアやエジプトへも流通させ、国内経済の活性化に大きく寄与していた。

遺産と評価

ヒッタイトの遺跡は首都ハットゥシャやアラジャホユックなどがよく知られ、城壁や宮殿跡、神殿施設が考古学的に確認されている。多言語の碑文や粘土板は文明の多様性と高度性を示す重要な手がかりであり、特に製鉄技術の発展が古代社会の軍事・経済・文化に与えた影響は大きい。その文明は紀元前12世紀頃に「海の民」など外的要因によって衰退したが、巨大建造物や文字資料に残された痕跡は古代オリエント史を解明する上で欠かせない位置を占め続けている。

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