パレスチナ解放機構(PLO)|発足からオスロ合意まで

パレスチナ解放機構(PLO)

パレスチナ解放機構(PLO)は、イスラエルによって奪われたアラブ人の土地を奪い返そうと作られた組織である。1964年に設立され当初は、アラブ諸国が作った穏健派として組織された。

パレスチナ解放運動

パレスチナ解放運動とは、1958年、ヤセル・アラファトによってファタハ(パレスチナ解放運動)が設立された。過激派で武力によるパレスチナ解放をめざす。

ゲリラ戦

第三次中東戦争後、アラブ諸国は大きな損失をおった。1969年2月、パレスチナ解放運動はアラファトが議長になり、穏健的であった組織から戦闘的な組織に方向転換する。PLOは、大きな連合体で、内部にさまざまな考え方を持った派が所属するという組織であったが、各派が、様々なゲリラ戦を展開した。

湾岸戦争

1990年8月、イラク軍がクウェートに侵攻したことにアメリカが反発、湾岸戦争が起こる。窮地に立たされた、イラクのフセイン大統領は、イラク軍撤退の条件として、「イスラエル軍のパレスチナ占領地からの撤退」を掲げ、クウェート侵攻にイスラエルとパレスチナを巻き込もうとした。

イラク・フセイン支持

パレスチナ解放機構は直ちにイラクのフセイン大統領の方針を支持した。ところが、PLOへの最大の資金援助国はクウェートで怒ったクウェート亡命政権は、資金援助を打ち切った。イラクの脅威にさらされていたサウジアラビアも援助を停止、アラブ諸国からの批判が集中し、パレスチナ解放機構は、深刻な資金難に陥った。

和平交渉

湾岸戦争時のイラク・フセイン支持でアラブ諸国の信用を無くし、援助も絶たれたパレスチナ解放機構(PLO)は、和平を模索するようになる。アメリカやノルウェーの仲介もあり、オスロ合意を結んだ。

議長選挙

イスラエル軍が撤退した後、1996年1月、パレスチナ住民による選挙が行われ、国会に当たるパレスチナ立法評議会の議員選挙と、パレスチナ統治機構議長(大統領)の選挙が行われ、アラファト議長が選ばれた。パレスチナ解放運動(PLO)の軍事組織は、パレスチナ自治区の警察官として機能した。