テト攻勢|解放戦線による全面攻撃,ベトナム戦争

テト攻勢

テト攻勢とは、ベトナム戦争の終盤、解放戦線・北ベトナム軍による一斉攻撃である。両軍により9割の州都が攻撃された。旧正月に行われた奇襲であったがジャングルでゲリラ戦を展開していた解放戦線が表舞台の都市で戦争したため、アメリカ軍はすぐに体制を整え鎮圧に成功した。この光景はアメリカ国内にも報道され、ベトナム戦争におけるアメリカの劣勢を印象づけた。

テト攻勢

1968年1月30日、テト攻勢が起きた。「テト」とは、旧正月を意味し、通常、ベトナムではテト(旧正月)を祝うが、この日に、南ベトナム解放戦線と北ベトナム軍が、ベトナム全土で一斉に大攻勢をしかけた。動員された兵士は6万人にのぼり、南ベトナムには44の省のうちの36省都のが一度に攻撃された。南ベトナム北部の古都フエは、わずか1日で北ベトナム軍と解放戦線に占領され、首都サイゴンのアメリカ大使館と軍の放送局に解放戦線の先鋭部隊が突入し、一時占拠された。

古都フエの虐殺

古都フエではテト攻勢で北ベトナム軍と解放戦線に支配され、約1ヶ月続いた。フエの町に潜伏していた解放戦線の秘密工作員の数百人によってなされたが、その後、アメリカ軍の反撃により、北ベトナム軍は市内から撤退することになる。秘密工作員が再び一般市民を装うために、正体を知ってしまった一般市民を、口封じのためにおおよそ1000人から5000人の一般市民が殺された。

アメリカの反戦運動

一時とはいえ、解放戦線にアメリカ大使館を占拠されたことは、アメリカ国内に報道され、大きな衝撃を与えた。ここにアメリカ国民は自らの劣勢を知ることになり、大きな反戦運動につながるようになる。

南ベトナムの国家警察長官による虐殺

テト攻勢で逮捕された解放戦線の容疑者を、南ベトナムの国家警察長官が、路上で報道陣を前にして、拳銃で撃ち殺した事件が発生する。国家警察長官という立場のある人間によって、裁判もせずに、また報道陣の前での暴挙で行われた光景がアメリカ国内で報道された。

テト攻勢の被害

北ベトナム軍や解放戦線はジャングルでのゲリラ戦は得意としていたが、開けた場所ではアメリカ軍の優れた兵器の前に苦戦した。アメリカ軍の犠牲者は、1526人、南ベトナム政府軍の死者は2788人であったが、北ベトナム軍と解放戦線の死者は3万人を超え、6000人の捕虜を出した。

解放戦線の壊滅

テト攻勢を主導した、南ベトナム民族解放戦線は壊滅した。解放戦線は幹部や経験値の高い戦闘員が、大量に失われた。テト攻勢以前の解放戦線は、共産主義、民族主義者や知識人などで構成された組織だったが、テト攻勢以降は、北ベトナムの正規軍が指揮をとるようになる。そのためテト攻勢には、北ベトナムによる、解放戦線の総力を削ぐことを意図した側面があったことを指摘されている。

北ベトナムの支配

解放戦線は、北ベトナムの全面的な支援を受けてアメリカとの戦争を展開していたが、解放戦線の中には、社会主義国家の北ベトナムとの統一に対して消極的であった勢力も少なくなかった。北ベトナムにとってベトナム戦争を優位にたった段階で、解放戦線の反対勢力を淘汰することは、ベトナム戦争後の政治において優位に立つことであった。事実、南北統一後、解放戦線は姿を消し、代わりに北ベトナムの支配が行われた。