クレタ文明
エーゲ海に浮かぶクレタ島で栄えた青銅器時代の文明をクレタ文明と呼ぶことが多い。これは一般的にはミノア文明とも称され、紀元前3000年頃から紀元前1100年頃までの長きにわたり存続し、独自の宮殿建築や海上交易を通じて高度な文化を形成していたことが知られている。なかでもクノッソス宮殿に代表される精緻な建築群や、美術工芸の優雅さ、さらには線文字Aと呼ばれる文字体系の存在が大きな特徴として挙げられる。近隣地域との交流を通じ、エーゲ海世界全体の文明発展に多大な影響を与えたと考えられており、後世のギリシア文明の源流とも位置づけられている。
クレタ文明の概要
クレタ文明は、前2000~前1400年頃に、クレタ島を中心に海上交易で栄えた青銅器文明である。民族系統は不明だが、小アジアのアナトリア方面からやってきた青銅器文化を持っている民族であると考えられている。クレタ人は、クレタ島などに移住し、いくつかの小王国を形成した。オリエント文明の影響を受けているが、宮殿には城壁がなく、海洋動物や人間を写実的に描いた壁画や壺絵などから、開放的性格がうかがえる。ミケーネ文明を築いたアカイア人の侵入で滅亡を迎えた。

エーゲ文明
ミノス
ミノスは、ギリシア神話に登場するクノッソス宮殿に住んだ伝説の王である。クレタ文明を発見した考古学者エヴァンズはクレタの王ミノスの名をとって、クレタ文明をミノス文明とも呼ぶ。
クレタ人
クレタ人はクレタ文明をになった民族である。残されたクレタ文字が未解読なため、民族系統や社会組織など不明な点が多い。クレタ人は強力な艦隊をつくってエーゲ海の航行権を握り、エジプトや南イタリアなどとの交易もさかんにおこなっていた。

クレタ人を描いた壁画
起源と形成
クレタ島における人類の定住は新石器時代まで遡るが、海を隔てたエジプトやメソポタミアとの接触によって、早い段階から先進的な文化や技術がもたらされたと推測されている。火山活動や地震の多発地帯にある一方で、地中海性気候という温暖な環境と豊かな自然資源に恵まれ、人々は農耕と牧畜、さらには遠方との交易を活発に行うようになった。こうした社会的・経済的背景のなかでクレタ文明が成熟し、宮殿を中心とした複雑な都市構造と行政組織を発達させていったのである。
ルタ王国
ルタ王国は、クレタ島を中心にクレタ文明になった王国である。前20世紀からギリシア地方に南下したアカイア人に滅ぼされた。アカイア人は、クレタ文明を淘汰した後、ミケーネ文明を建てた。

クレタ島で見つかった画
クノッソス
クノッソスははクレタ島北岸に位置するクレタ文明の中心地である。クノッソス、マリア、ファイストスなどの小王国があったが、クノッソスがもっとも力をもち、前2000年頃にはクレタ島を統一した。壮大な宮殿があり、そこに多くの小部屋・廊下が複雑に配置されていたため、伝説上のミノス王が建てた迷宮(ラビリントス)にも擬せられた。動物、特にイルカなどの海洋動物や人間たちをいきいきと描いた壁画にはオリエントにない開放性がみられる。王宮が城壁を持たず、クレタ文明が安定したことを示唆している。クノッソスは、クレタ文明の破壊後も前1200年頃までミケーネ文明の拠点として栄えたとされる。
テラ島
クレタ島の北のテラ島(現在のサン=トリーニ島)にもクレタ文明と似た文明が栄えていた。大きな牛を飛び越える曲芸や、「パリジェンヌ」と呼ばれる女性の絵などが知られるが、テラ島は前1500年ころ火山の爆発で大半が水没した。これはプラトンなどが論じたアトランティス大陸伝説の元になったと推測されている。
建築と芸術
クレタ島各地に残る宮殿群は、迷路のような平面構造を特徴とし、クノッソスをはじめファイストスやマリアなどで華麗な遺構が発掘されている。これらの宮殿は単なる権力の象徴にとどまらず、政治・宗教・経済の中枢機能を兼ね備えた公共空間として機能していた。室内には彩色豊かな壁画が施され、とりわけ牛跳びを描いた場面が有名である。牛は宗教的祭儀や社会的行事に深く関わっていたとされ、芸術的モチーフとしても頻繁に登場する。このような華麗な芸術品は、同時期のエジプトやシリアとの交流を物語り、海上交易に支えられた豊かな経済基盤を反映している。
海上交易と経済
周辺のキクラデス諸島やギリシア本土との交易だけでなく、エジプトや近東とも積極的な商取引を行った結果、クレタ島では多様な文化が交錯し、特異な芸術や建築が育まれた。オリーブ油やワインなどの農産物、さらには陶器や金属製品などを生産・輸出し、その代わりに貴金属や象牙、あるいは珍しい工芸品などを手に入れていたと考えられている。このような交易拠点としての役割がクレタ文明の繁栄を支え、地中海世界における一大経済圏の一角を担ったのである。
文字と記録
クレタ島の遺跡からは線文字Aと呼ばれる文字資料が見つかっており、宮殿経済における物資の管理や分配記録などに用いられた可能性が高い。一方で同じくエーゲ海世界で使われた線文字Bはミケーネ文明由来の古代ギリシア語を表すことが解読から判明したが、線文字Aについては未だ言語系統の確定に至っていない。こうした文字体系の存在は行政機構の高度化を物語り、都市国家の複雑な運営を下支えしていたと推測される。
クレタ文字(絵文字・線文字A)
クレタ文明では、初期の時代から絵文字(象形文字)を使った。のちにこの絵文字から線文字Aを生み出し、絵文字と併用して使われた。絵文字・線文字Aは未解読であり、したがってクレタ王国の社会についてはよくわかっていない。(ついでミケーネ文明では線文字Bをつかった。)
衰退と影響
- サントリーニ島(古代名ティラ)での大噴火や地震などの自然災害が直接的な打撃を与えた。
- ミケーネ文明が勢力を伸ばすなかで、クレタ島の都市は次第に支配を受けるようになった。
- しかしその文化的遺産は後のギリシア文明に受け継がれ、建築や宗教儀礼、芸術表現などに大きな影響を及ぼした。