キリスト教|歴史と宗教,イエス・キリスト,聖書,隣人愛

キリスト教

イエス・キリストの教えに基づき、彼を神の子キリスト(救世主)として信仰し、その福音に救いを求める宗教。世界的に広まっており、イスラム教仏教と並び世界宗教の一つとなっている。母体となったユダヤ教から唯一神への信仰を受け継ぎながらもその形式主義を批判し、すべての人に無差別に愛を注ぐ、神の愛(アガペー)と敵対的な人物にさえ、愛を与えるという隣人愛を基本思想としている。
イエス・キリストの死後、パウロやペテロらの使徒がユダヤ教の迫害の中、普及活動を行い、やがてローマ=カトリック協会ができる。なお、中世の末期には、ルターなどの宗教改革が行われ、プロテスタントと呼ばれる宗派を形成された。

キリスト教会

キリスト教会

イエス・キリスト

イエスキリスト教の創始者である。イエスは、イスラエル(パレスチナ)のベツレヘムで、大工を営む父ヨゼフと、聖霊によって身ごもったマリアとの間に生まれたとされている。30歳のころ、洗礼者ヨハネからユダヤ教の洗礼を受け、その後、自らが神の子であると自覚し宣教した。イエスは、他国に支配され、あるいはユダヤ教の戒律から外れた人々など、希望を持てない多くの人々に悔い改めて神を心から信ずれば、誰しもが福音を得ることができると説いた。
神の愛(アガペー)はすべての人に平等に注がれると説き、ユダヤ教の選民思想から脱し、世界宗教に拡大する素地を培った。神の愛は貧富や職業、性別、罪人に関わらず、すべて平等に赦しと救いを与えた。
しかし、敵対するユダヤ教の主流派やローマ官憲によって、ユダヤ教の教えに反し、口ーマ帝国への反逆を企てたとして訴えられ、十字架刑に処された。その3日後、イエスが復活し、イエスこそキリスト(メシア、救い主)であるとする教えがぺテロら弟子たちによリ広められ、パウロによって人間のもつ根源的罪(原罪)、イエスによる罪の償い(贖罪)と神の恵みを説くキリスト教が確立した。

キリスト教の略年

  • 前1500ころ イスラエル人がパレスチナに移住。
  • 前1250ごろ モーセの指導によリ、エジプト脱出。
  • 前1000 イスラエル王国が成立。ダヴィデがソロモン王の時代に栄華を極める。
  • 前722 北イスラエル滅亡。
  • 前586 南ユダ滅亡。バビロン捕囚。
  • 前538 ペルシャによる解放、このころユダヤ教が成立する。
  • 前250 『旧約聖書』が形成される
  • 前4 イエス・キリストの誕生。
  • 後27 ローマ帝国成立。
  • 30 イエスの処刑。
  • 33ごろ パウロの回心
  • 1~2世紀 『新約聖書』が形成される。
  • 392 キリスト教の国教化。
  • 427 アウグスティヌス『神の国』完成
  • 1096 第1回十字軍遠征。
  • 1265 トマス=アクィナスが『神字大全』 トマス=アキナスが執筆開始。

キリスト教の発展

キリスト教は、313年ローマ皇帝コンスタンティヌスによリ公認され、392年、テオドシウス帝の時に国教化された。キリスト教が様々な歴史的背景や習慣をもつ異邦人へ伝道されるようになると、他の宗教に優越する体系化された理論的な教義が必要となった。数々の議論や会議が行われる中、5世紀前半に教父と呼ばれる指導者の中からアウグスティヌスが登場し、カトリックの教義の基本が確立した。13世紀には、トマス=アクィナスアリストテレス哲学を応用し、理性と信仰との統一をねらいとし、体系的な神学を確立した。この学問は、スコラ哲学と呼ばれるようになる。
中世の末期にはカトリック教会の腐敗、ペストなどの疫病の悪化、印刷技術の発達などを背景により、カトリック教会とは一線を引いたプロテスタントという宗派が生まれた。ルターやカルヴァンがその代表で聖書を中心としたキリスト教であった。その後、産業革命と欧米の帝国主義を背景にアメリカ大陸やアジアに広がることとなる。

契約

キリスト教における契約とは、イエスが神と民の仲立ちとなって、人類の救済を約束するという新しい契約を表した。それが『新約聖書』である。

『新約聖書』

『旧約聖書』とともにキリス卜教の聖典である文書。イエスの生涯、言行、復活などを記した福音(「マタイによる福音書」「マルコによる福音書」、「ル力による福音書」「ヨハネによる福音書)やパウロの書簡などからなる。1〜2世紀の間にギリシャ語で書き記された。

『聖書』「マタイによる福音」

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は幸いである、その人たちは慰められる。
柔和な人々は幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。
義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。
平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子とよばれる。
義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。

救世主としてのキリスト

キリストはギリシャ語で救世主の意味であリ、キリスト教ではイエス・キリスト自身を指し、現実の王ではなく、すべての人間を罪から救う内面の救い主のことである。

ユダヤ教とキリスト教

ユダヤ教の教えは、人間としての厳格な生き方と民族の団結心を与え、それは律法を遵守することで実現される。しかし、過剰に律法を尊重するあまリ、律法を守ること自体が神からの救いであるととらえられ、生活の隅々において人々の考えや行動を支配するようになった。しかし、過度な律法主義は、律法を守れない人々の多くを出現させ、そうした人々はしばしば社会的弱者となり差別的に扱われる。
このような状況で登場したイエスは、律法を形式的に守るのではなく、律法に込められた神の愛(アガペー)を実現することを説いた。律法は、本来、人間への限リない神の愛に満ちたものなのである。

神の愛(アガペー)

神の愛とは元来はギリシャ語で一般的な「愛」のことであるが、キリスト教では神の絶対愛を意味し、万人への愛、無差別・平等の愛、無償の愛(代償を求めない愛)を特色としている。神は、すべての人間、善人にも罪人に対しても、分けへだてなく愛を注ぐことから、太陽や雨に例えられる。イエスは神の愛に応えるのが人間のあるべき姿であり、それが「神への愛」と「隣人愛」の実践であるとした。神の愛(アガペー)は、イエスの「十字架の死」として究極的に結実する。梓のひとリ子であるイエスを犠牲にしてまでもすベての人間を罪から救うことこそが人間への神の愛の発露であるとされている。

隣人愛

キリスト教において、他者に及ぼされる愛のこと。イエスは「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」と説いた。人間は、神の愛(アガペー)を受けている。その愛に応えるには、この愛にならつて自身が、無条件、無差別に他者を愛するべきである。ここでいう也者は.おのれの敵をも含む。

無償の愛

キリスト教における愛は、相手に見返りを求めない「無償の愛」である。それは、「太陽のごとき愛」であり、何らかの代償を求めるものではない。そして、自分へ愛を示さないものにも与える愛である。善人悪人関係なく愛を注ぎ、さらにその愛は自分に敵対するもの、憎むもの、迫害するものにまで向けられる。

『新約聖書』 マタイによる福音書1

こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。柔和な人たちは、さいわいである。彼らは地を受け継ぐであろう。義に飢えかわいている人たちは、さいわいである。彼らは飽き足りるようになるであろう。あわれみ深い人たちは、さいわいである。彼らはあわれみを受けるであろう。こころの清い人たちは、さいわいである。彼らは神をみるであろう。平和をつくり出す人たちは、さいわいである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである。天国は彼らのものである。

『新約聖書』ルカによる福音書2

するとそこへ、律法学者が現れ、イエスを試みようとして言った。「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましようか」。彼に言われた、「律法には何と書いてあるか。あなたはどう読むか」。彼は答えて言った、「『心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主 なるあなたの神を愛せよ」。また、「自分を愛するように、あなたの隣り人を愛せよ」とあ ります」。彼に言われた、「あなたの答えは正しい。そのとおり行いなさい。そうすれば、いのちが得られるよ。

十字架

十字架

福音

福音とは、ギリシャ語で「よろこばしい知らせ」「よき音信」の意味で、イエスによリもたらされた全人類の救いのことである。キリスト教の教義では、イエスが十字架でみずからを犠牲にして、人類の罪を贖い、その三日目に復活したこと、イエスが神の子キリストであることが、福音んの中心として重んじられる。(参考:福音主義

黄金律

「何ごとでも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおリにせよ」というキリスト教道徳の最高の教え。イエスは、神の愛にならって、神は人間が求めるものを与えることがら、自身が望むことはまず自分からそのとおりに実践することを説いた。

十字架

イエスは、ユダヤ教徒によって伝統的な教えを冒涜する者とされ、捕らえられてローマ官憲によリ十字架刑に処された。キリスト教を伝道したパウロは、イエスは、すべての人間の身代わりとなり、自分の苦しみと引きかえにはりつけにされ、人々の罪を贖ったと説いた。十字架は、イエスの自己犠牲により、人類を罪から解放したイエスの愛の象徴でもある。

キリスト

キリストは、ギリシア語で救世主を意味するユダヤ教のメシアは現実の王のことであるが、キリスト教では復活したイエス自身であり、全人類を罪から救う救い主である。また、イエスはこの世の最後の審判を行い神の国を実現する。

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