キューバ危機|冷戦と核戦争の脅威,世界史

キューバ危機

キューバ危機とは、1962年10月、キューバのソ連の核ミサイルの配備をきっかけに、ソ連とアメリカの間に核戦争の機運が高まった。ソ連はアメリカへの圧力からキューバに核ミサイルを配備、それを嫌ったアメリカはキューバへの攻撃を検討した。これはソ連・アメリカの全面戦争を意味し、世界中は核戦争を恐れた。

冷戦

1962年6月、ソ連のフルシチョフ首相は60基のミサイルと60発の核弾頭をキューバに配備する計画を立てた。この当時、ソ連は長距離ミサイルを開発していたが、ソ連の領土からアメリカに届くだけの能力がなかった一方で、アメリカはイタリアやトルコに中距離核ミサイル「ジュピター」を配備しており、ソ連の首都モスクワを射程におさめていた。冷戦下での交渉を有利に進めるため、フルシチョフ首相は、アメリカのキューバに核ミサイルを配備、キューバを軍事的・政治的戦略拠点とした。

ソ連による核兵器配備

1962年7月、ソ連は貨物船でミサイルと核弾頭、農業技術者を装いた4万2000人の兵員をキューバに送り込んだ。

アメリカの偵察機

1962年10月14日日曜日、アメリカの偵察機がキューバ上空を飛行し、ソ連が送り込んだミサイル基地を撮影することに成功。CIA(中央情報局)が写真を分析した結果、核兵器搭載可能なソ連の中距離ミサイルが運び込まれていることが明確となった。少なくとも14基のミサイルが、布カバーをして設置している写真がうつっていた。

国家安全保障会議緊急執行委員会

1962年10月16日火曜日、午前9時、ケネディ大統領の元に偵察機の写真が届けられた。ケネディは、直ちに「国家安全保障会議緊急執行委員会」(EXCOM)を招集し、対策会議が行われた。ケネディは密かに会議の模様を録音していたがキューバに核弾頭があるかどうかを把握していなかったことがわかる。

ケネディ「どうしてこれが中距離核弾道ミサイルだと判断できるのか。」
CIA分析官「モスクワでの軍事パレードで撮影したミサイルと長さが同じだからです。」
ケネディ「発射可能か。」
CIA分析官「いえ、まだです。」
ケネディ「いつ可能になるのか。」
CIA分析官「地上の準備具合によります」
国防長官「核弾頭はどうなっているか。」
CIA分析官「必死に探しておりますが、この地域では発見できておりません。しかし、核弾頭をミサイルに搭載するのは数時間で可能です。」

キューバ攻撃の検討

国家安全保障会議緊急執行委員会で、マクナマラ国防長官は、キューバのミサイルが、アメリカの東半分を射程に入ることを指摘した上で、キューバ空爆が必要な場合、数時間で可能になることを言明。これにアメリカ軍のテイラー統合参謀本部議長も、偵察写真を撮影し、攻撃目標を正確に捕らえた上で、奇襲にでることを進言した。アメリカの近くにソ連のミサイルが運び込まれていたことに衝撃を受け、アメリカ政府高官は好戦的にならざるをえなかった。

基地空爆

キューバの空爆に際していて限定的な案や全面攻撃する案を検討した。その一方で、キューバをアメリカが攻撃した場合、ソ連が報復に出ることも検討された。

国防長官「もしキューバの基地を攻撃すれば、数百人のソビエト市民を殺すことになる。その場合、フルシチョフは、どんな反応を示すことになるのか。その代償は高いものになることを覚悟しなければならない。」
ケネディ「もしそうなると、ソ連はベルリンを奪い取るだろう」
国防長官「もしソビエト軍がベルリンに攻め込んだら、ベルリンにいる米軍は対抗できない」
参謀本部「全面戦争になるだろう。」
ケネディ「核戦争になるということか。」

カーチス・ルメイ空軍参謀総長

カーチス・ルメイ空軍参謀総長はケネディに対し、軍事力行使を進言した。ルメイは第二次世界大戦中にドイツと日本に対する戦略爆撃を発案・実行し、発言力は高かった。

ケネディのテレビ報道

1962年10月22日午後7時、ケネディは、通常のテレビ番組を中断して、国民に対し、キューバにソ連の核ミサイルが配備されていることを発表した。軍部の強硬な申し入れにもかかわらず、ケネディは、全面核戦争へのエスカレーションを避けるため、キューバ攻撃ではなく、海上封鎖を選択した。同時に、キューバへの輸送途中のすべての攻撃用兵器の徹底した「隔離」(quarantine)の実行を述べました。さらにケネディはキューバによるアメリカの攻撃は西側諸国との全面戦争になるとし、ソ連を牽制した。

ソ連の反応

ケネディの報道に対して、ソ連は強い不快感を示し、核戦争への道だと非難し、ソ連軍に臨戦態勢をとるように命じた。ワルシャワ条約機構に加盟している東欧各国の軍隊も、戦闘態勢に入る。

キューバの反応

キューバはアメリカ軍の攻撃を想定して総動員令を発令し、25万人の市民が防衛態勢に入った。

アメリカ軍の戦争体制

世界中で展開するアメリカ軍部隊には、戦争レベルを示す「デフコン1」を超えて、初めて「デフコン2」が発令された。アメリカ国防総省は、「共産圏の船が停船を拒んだ場合、撃沈する用意がある」と発表し、双方の緊張が高まり核戦争の機運が高まる。

市民

アメリカの市民は、核戦争の開始を恐れ、核シェルターや食料の買い占めが行われた。ソ連国内では、情報操作が行われたが、国民の間に核戦争の噂が広がった。日本をはじめ世界中で核戦争におびえるようになった。

偵察機撃墜

10月27日土曜日、キューバ上空を偵察飛行中のアメリカ軍の偵察機が、ソ連軍の地対空ミサイルによって撃墜された。

ソ連貨物船

多数のソ連貨物船が向かっていたが、約100隻のアメリカ軍艦が封鎖ラインを作って警戒を続けた。封鎖ライン周辺にはソ連の潜水艦が集結、これをアメリカ海軍の駆逐艦が追跡していた。アメリカは核爆弾を積んだ爆撃機が、大西洋上で旋回を続けた。

アメリカ海兵隊第五遠征旅団

アメリカ海兵隊第五遠征旅団は、キューバ攻撃の準備を終え、乗船を始めていた。1万4000人の空軍予備役が呼び出しを受け、それぞれの集合場所に向かっていました。

土曜日の夜を見るのもきょうが最後(マクナマラ国防長官)

キューバ危機の終結

1962年10月28日、日曜日の朝、ソ連のモスクワ放送は、「キューバからの武器の撤去」を発表した。「ミサイル」という言葉はなく、ソ連は、核ミサイルを配備したことを認めないまま、アメリカの要求を呑んだ形で終結した。

きょうは、世界が第二次世界大戦以来、核による大量虐殺の最大の脅威から抜け出た日であることは間違いありません。

密約

キューバ危機は、アメリカがキューバを攻撃しないとの約束と控えに、ソ連はキューバからミサイルを撤去する」という形で決着したが、アメリカがトルコから核ミサイルを撤去するという密約が交わされていた。アメリカ・ケネディとソ連・フルシチョフとの交渉がなされた。

核の危機

核戦争の危機に初めて直面し、アメリカとソ連の双方の指導者たちは、その恐ろしさを認識したが、核の危機に直面し、核の使用は不可能になった。その反面、通常兵器の拡大競争が激化した。