エトルリア
エトルリアは、トスカナ地方を中心に定住した系統不明の民族により作られた都市国家連合である。エトルリア人は、前7~前6世紀が最盛でローマ帝国が出現する以前に当時のイタリア半島で先進的な文明を築いた。エトルリアの文明は、ウェイイやタルクィニアなど、王政をとる12の都市国家の連合体制をとり、一部のエトルリア人は前7世紀末にローマを支配したが、前5世紀以降衰え、前3世紀ローマには征服されることになる。
イタリアで生まれた民族
エトルリア人に関しては、詳細はわかっていない。東方からの移住民族とイタリアの土着民との混交により、イタリアで生まれた民族と推定されている。
文化
エトルリアの文化は、豊かな黄金細工・青銅器・彫刻、それに鮮やかな壁画が発掘されている。また、建築のアーチや水道橋などのインフラ整備など高度な文明を築いた。
交易
エトルリアでは、ギリシア都市やカルタゴと交易が行われ、両国から文化的影響も受けた。
ローマへの敗北
エトルリアの社会は当初は王政をとっていたが、貴族による統治制度をとるようになり、12の都市国家は緩やかな都市連合を形成するようになる。一部のエトルリア人は前7世紀末にローマを支配し、都市国家を作った。しかし、エトルリア人の都市国家は12都市間の団結が弱かったため結果、次々にローマに支配されていく。
ローマ帝国への影響
古代ギリシアやカルタゴとの影響を受けたエトルリアの文明は建築のアーチ・水道橋をはじめ、衣服・官制・習慣など、ローマに大きな影響を与えた。エトルリアの人々が信じた神々、卜占、役人が用いた標識、凱旋式、剣闘士競技など文化的側面もローマに受け継がれた。
エトルリア美術
遺跡はほとんど残っていないが、多数の墳墓が保存されている。墓には埋葬品や墓室壁画から多く発見され、エトルリアの美術や思想を垣間見ることが出来る。彼らは死者に対し、現世の楽しい生活を死後にも送られると考えていたことがわかる。
ギリシア文字
エトルリアで扱われた文字は、ギリシア文字であったが、印欧語ではなく、未解読のまま現在に至る。