『天文対話』 ガリレオ・ガリレイ 1623年
『天文対話』は、ガリレオ・ガリレイの主著でコペルニクスの地動説を支持した。1616年にベッラルーミーノ枢機卿によって自説を公にしないように指摘されたが、それを振り切って1623年の刊行した。3人の登場人物が、それぞれ地動説、大衆の意見、アリストテレスの天動説を代弁し、4日間にわたる論争をする。地動説の正しさがガリレオ・ガリレイが開発した天体望遠鏡による新しい発見をもとに主張された。科学史を代表する書であるが、『天文対話』の出版によりガリレオが宗教裁判にかけられる原因となった。その後、無期懲役は避けられたが、フィレンツェの郊外の別荘で軟禁状態に陥る。
慣性について
当時、地球が本当に動いているとすれば、塔の上から真下に落とした小石は、落下中も地面が移動しているので、党の足元からずれたところに落ちるはずだ、とした。ガリレオ・ガリレイは『天文対話』の中で次のように述べている。
「動いている船のマストの上から石を落としても石はマストの根本に落ちる。従って落下する石の運動を眺めてもそれによって地球の静止は断定できない。」