黒人奴隷
黒人奴隷とは、主に15世紀末から19世紀にかけてヨーロッパ列強が西・中央アフリカから新大陸へ強制移送したアフリカ系住民を指す概念である。彼らはサトウキビや綿花などを生産するプランテーションや鉱山で過酷な労働を強いられ、大西洋世界の経済発展と植民地支配の基盤を担った。他方で、コンキスタドールによるアメリカ征服とその後の体制のなかで、暴力と人種差別の構造に組み込まれた存在でもあり、近代世界秩序の負の遺産を考えるうえで中心的なテーマとなっている。
大西洋奴隷貿易の成立
15世紀末、ポルトガルやスペインはアフリカ沿岸を航海し、捕えたアフリカ人をカナリア諸島やカリブ海の島々へ運ぶようになった。とくにエスパニョーラ島では、先住民が疫病と苛酷な労働によって急速に減少し、その労働力を補うためにアフリカ人の移送が本格化した。こうして大西洋をまたぐ奴隷貿易が定着し、アフリカ・ヨーロッパ・アメリカを結ぶ「三角貿易」の一角として黒人奴隷が大量に供給される構造が形成された。
征服と教会人による批判
スペインのコルテスによるアステカ王国の滅亡や、ピサロによるインカ帝国の滅亡ののち、先住民はエンコミエンダと呼ばれる支配制度や疫病によって激減した。この中で、一部の聖職者は征服の残虐さを批判し、代表的存在がドミニコ会士ラス=カサスである。彼は当初、先住民保護のためにアフリカ系黒人奴隷の導入を提案したとされるが、やがてその誤りを自覚し、『インディアスの破壊についての簡潔な報告』でスペイン支配と奴隷化の実態を激しく告発した。
アフリカ社会と奴隷供給の構造
大西洋奴隷貿易は、ヨーロッパ商人だけでなくアフリカ内陸の諸王国や軍事勢力も巻き込んだ複雑なネットワークであった。戦争や略奪で捕えられた人びとが沿岸部へ売り出され、そこでヨーロッパ商人に交換される。火器や布などの交易品を手にした勢力はさらに戦争能力を高め、捕虜を増やして売却するという悪循環が生まれた。この構造のなかで黒人奴隷は商品として扱われ、家族や共同体から切り離されて新大陸へ送られたのである。
プランテーションでの労働と生活
アメリカ大陸やカリブ海のプランテーションでは、サトウキビ・コーヒー・綿花などの商品作物の大量生産が行われた。そこに投入された黒人奴隷は、日の出前から日没後までの重労働や厳しい体罰、粗末な住居と食事に耐えなければならなかった。死亡率は高く、自然増では需要を満たせないため、ヨーロッパ商人はアフリカから新たな奴隷を継続的に搬入したとされる。こうした過酷な環境は、征服地の先住民反乱とも共鳴し、アンデス地方ではインカの反乱のように植民地支配に対する抵抗も広がっていった。
抵抗・反乱と自由への希求
黒人奴隷は強制労働に従属させられた一方で、日常のサボタージュ、逃亡、農園主への対抗交渉、武装蜂起など、多様な形で抵抗を続けた。逃亡者たちが山間部や密林に自立的共同体を築いた例も知られ、植民地支配者にとっては恒常的な脅威であった。また、アフリカ由来の宗教や音楽、言語表現は抑圧の中でも保持・再編され、新大陸の黒人文化として発展していった。
奴隷制廃止と現代世界への影響
18〜19世紀になると、キリスト教的人道主義や啓蒙思想、市民革命の理念の高まりを背景に、奴隷貿易および奴隷制の廃止運動が展開した。イギリスやフランス、アメリカ合衆国などで法的な廃止が進められ、形式上黒人奴隷制度は終焉へ向かった。しかし、解放後も人種差別や経済的不平等は長く残存し、現代にいたるまで社会構造や文化表象に深い影響を与え続けている。奴隷制の歴史は、征服者と被征服者、支配と差別の問題を考えるうえで不可欠の視点を提供し、歴史教育や記憶のあり方をめぐる議論の中心的テーマとなっている。