職業召命観|カルヴァン

職業召命観

召命とは、神に召されて使命を与えられること。英語ではcalling、ドイツ語ではBerufといい、神に呼び出されるという意味をもつ。ルターは職業に神の召命としての意義を与え、カルヴァンは、世俗的職業は神の栄光を実現するために人間が奉仕する場であるとして、より積極的に意義づけた。カルヴァニズムにおいては、信者は神の予定のもとで自分が救いに選ばれていることの確証を得るために、禁欲的に職業に励み、自己を神の意思を実現する道具として自覚した。職業召命観のもとにおける宗教改革の人間像は、職業人とも呼ばれる。

カルヴァンの職業召命観

カルヴァンの職業召命観の特色は、神の意志が絶対で、人間の自由意志や努力は何の影響も及ぼすことができないところにある。人はただ、神の栄光を増すためだけに存在し、神は個別の人間の救済について、あらかじめ決定している。職業は神が現世での役割として人間に与えたものであり、職業に打ち込むことで人間は救いの高さを実感できると説く。またそれまでのキリスト教的価値観では否定された利潤や利子をとることも認めたため、カルヴァンは西ヨーロッパの市民階級に支持された。

最後に注意さるべきは主が我々の一人一人に生涯のあらゆる行為について己が召命(ヴォカティオ)を注視せよと命じておられる点である。すなわち、人間の精神がいかなる不安にかき回され、いかなる軽率な思いつきによってあちこち引き回され、いかなる欲望によって野心が様々な物を同時につかもうとするかを酒は知っておられる。それ故、主は、我々の愚かさと無思慮が一切を転倒して混同することがないように各々の種類の生活における義務を定めたもうた。そしてその限度をこえることがないように、そのような生き方のことを「召命」と呼びたもうた。だから各々の生き方は、全生涯にわたって無思慮なままに放浪することがないよう主から宛てがわれた。いわば持ち場である。しかし、さらに必要なのは、我々のすべての行為がこれによって上の前で評価されるということを知り、それが人間的・哲学的理性の判断とは遥かに異なるという区別をわきまえることである。

社会学者のウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

社会学者のウェーバーは、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の中で、プロテスタントの予定説のもとで人びとが救いの証を得るために、神の栄光をあらわす世俗的な職業に励み、禁欲的な生活を送って利潤を蓄積したことが、資本の形成につながり、近代資本主義の精神を生む要因になったと分析した。このときはプロテスタントの強い地域でしか、資本主義は発展しないと考えられることも少なくなかったが、日本がその例外としてプロテスタント以外の資本主義国家の先駆けとなる。

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