神曲
神曲は、イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが14世紀初頭にラテン語ではなくトスカナ方言で著した長編叙事詩である。人間ダンテが詩人ウェルギリウスと理想の女性ベアトリーチェに導かれながら地獄・煉獄・天国を巡礼する旅を描き、中世末期ヨーロッパの宗教観・宇宙観・倫理観を壮大な物語として表現している。イタリア文学だけでなくヨーロッパ文学全体を代表する古典とされる。
題名と構成
神曲の原題は「コメディア」であり、後世になって「神聖な」を意味する形容詞が付され「ディヴィーナ・コメディア」と呼ばれるようになった。作品は「地獄篇」「煉獄篇」「天国篇」の三部から成り、それぞれ33歌ずつ、冒頭の序歌1歌を加えて全体で100歌という象徴的な数字構成を持つ。全編が三行連鎖韻と呼ばれる高度な韻律で書かれ、厳密な形式と宗教的象徴が結び付いている。
作者ダンテと時代背景
神曲は、都市国家フィレンツェの政争に巻き込まれ追放されたダンテが亡命先で構想したとされる。教皇権と皇帝権、教会と世俗権力、ギベリンとグエルフといった対立が錯綜し、十字軍や教会分裂など中世秩序が揺らぐ時代であった。ダンテはこの混乱の中で、キリスト教的世界観に基づく「正しい秩序」と「人間の救い」を詩のかたちで示そうとした。
地獄篇・煉獄篇・天国篇
地獄篇
「地獄篇」では、暗い森をさまよう主人公が古代ローマの詩人ウェルギリウスに導かれ、九層からなる地獄を下って行く。罪は好色・貪欲・暴力・裏切りなどに分類され、罪の重さに応じた刑罰が与えられる。ここで描かれる政治家・教皇・知識人は実在人物も多く、ダンテの時代批判が強く表れている。
煉獄篇
「煉獄篇」では、救いに向かう途中にある魂が山を登りながら浄化される姿が描かれる。七つの段は七つの大罪に対応し、傲慢・嫉妬・憤怒などの悪徳を克服する過程が物語として提示される。ここでは悔い改めと希望が中心的なテーマとなり、人間が徳へと向かう努力が強調される。
天国篇
「天国篇」では、案内役がベアトリーチェへと交代し、主人公は天球を一つずつ上昇しながら至福に至る魂と天使たちを目撃する。最後に神の光そのものを直視する場面に到達し、言葉では言い尽くせない神秘として描かれる。この部分は神学・哲学的議論と象徴表現が多く、解釈の対象となってきた。
宗教観と倫理観
神曲は、キリスト教神学、とりわけトマス・アクィナスらのスコラ哲学の影響を強く受けている。世界は神の理性によって秩序づけられ、人間は自由意志を持ちながらも善悪の客観的基準に従って裁かれるとされる。地獄・煉獄・天国は単なる場所ではなく、罪と徳、愛と理性の在り方を象徴する道徳的空間として構成されている。
文学史上の意義
神曲は、中世ラテン語文化の枠を超え、民衆の言葉である俗語(イタリア語)の可能性を示した点で画期的である。後のイタリア文学やルネサンス人文主義はもとより、宗教美術や音楽、近代小説や映画に至るまで、多くの作品がこの叙事詩から動機やイメージを受け取ってきた。政治・宗教・哲学・詩学を一体化させた総合的作品として、今日もなお読み継がれている。