権利の章典|議会主権を確立した近代憲法の礎

権利の章典

権利の章典は、1689年にイングランド議会が制定した文書であり、国王権力を法によって制限し、議会と臣民の基本的権利を確認した法律である。名誉革命によって王位に就いたウィリアム3世とメアリ2世が王権を受諾する条件として議会が提示したもので、イギリスにおける立憲君主制と議会主権の確立を象徴する画期的な文書とされる。後世の人権思想は、近代市民社会を論じたニーチェや実存主義のサルトルなどによって多様に展開されたが、その源流のひとつとして権利の章典が位置づけられる。

成立の歴史的背景

17世紀イングランドでは、スチュアート朝の王たちが絶対王政的な統治を志向し、課税や宗教政策をめぐって議会と激しく対立した。チャールズ1世期にはピューリタン革命が勃発し、王の処刑と共和政を経験したが、王政復古後も王権と議会の緊張は続いた。とくにカトリック教徒であったジェームズ2世は、常備軍の増強や法の停止権の乱用などを通じて専制的な支配を進め、議会・国教会勢力の警戒を招いた。この専制への反発のなかで、オランダ総督でプロテスタントのウィレム3世(イングランド王としての名はウィリアム3世)が招致される名誉革命が起こり、その正統化と将来の専制防止のために権利の章典が作られたのである。

内容と主な条項

権利の章典は、ジェームズ2世の行為を違法として列挙し、それを繰り返さないための原則を条項として明文化している。その骨子は、王権の濫用防止と議会・臣民の自由の保障にある。これらの条項は、自然権や法の支配をめぐる近代ヨーロッパの議論と連続しており、後世にはニーチェサルトルらが論じた自由・責任の問題と結びつけて理解されることもある。

国王権の制限

第一に、議会の同意なしに国王が法律を停止したり免除したりすることを違法と定めた。ジェームズ2世が行った「宣誓拒否者救済令」のような恣意的措置を禁止し、国王も成文法に従うべき存在であることを確認したのである。第二に、議会の同意なき課税や、恒常的な常備軍の維持を禁止し、財政と軍事に対する議会の統制権を明確にした。これにより王権は著しく制限され、立憲君主制の枠組みが固められた。このような権力抑制の思想は、権力と主体の関係を考察したサルトルの議論にも通じると評価される。

議会と臣民の権利

一方で権利の章典は、議会と臣民の自由を積極的に保障した。議会議員の選挙の自由、議会内での発言の自由は侵してはならないとされ、議会の独立性が確認された。また、王に対する請願権を臣民の当然の権利と認め、過度の保釈金や残酷な刑罰を禁止する条項も含まれた。これらは後に「人身の安全」や「言論の自由」といった近代的権利概念へ発展する基盤となったものである。近代人の自由をめぐる悲劇性や主体の在り方を問い直したニーチェサルトルの思想を読む際にも、このような歴史的前提を踏まえることが有益である。

イギリス立憲主義における意義

権利の章典は、イギリスにおける「議会主権」の原則を確立するうえで決定的な役割を果たした。国王はもはや神から直接権力を授けられた絶対君主ではなく、議会と法によって拘束される立憲君主として位置づけられたのである。この結果、政治上の最高権威は王ではなく「議会」であるという理解が浸透し、政党政治や内閣制度が展開する土台が整えられた。イギリスでは成文憲法が存在しないが、マグナ・カルタや権利の章典などの歴史的文書が慣習法とともに「憲法的諸文書」として機能し、その蓄積がイギリス立憲主義の特徴となっている。この歴史の上に、人間の自由と権利を哲学的に批判したニーチェサルトルの思想史的位置づけも理解される。

世界の人権宣言への影響

権利の章典は、イギリス国内だけでなく、後世の人権宣言や憲法に大きな影響を与えた。18世紀末のアメリカ独立革命では、ヴァージニア権利章典やアメリカ合衆国憲法修正条項において、議会の同意なき課税の禁止や不当な捜索・差押えの禁止など、イングランドの伝統を継承した条項が盛り込まれた。また、フランス人権宣言における法の支配・安全の権利・圧制への抵抗権も、イギリス経験の影響を受けていると指摘される。20世紀に至り、自由をめぐる哲学的問いはニーチェサルトルのような思想家によって再解釈されたが、その背景には権利の章典が開いた「権力を法で縛り、個人の権利を宣言する」という近代の枠組みが存在している。

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