新移民
新移民とは、主に19世紀末から20世紀初頭にかけてアメリカ合衆国へ大量に流入した移民集団を指す概念である。従来の北西ヨーロッパ系中心の移住者と区別して、南・東ヨーロッパやロシア帝国内、さらには中東からやってきた人びとをまとめて新移民と呼び、宗教・言語・生活様式の違いがしばしば社会問題とされた。彼らは工業化の進んだ都市部で低賃金労働に従事し、同時にアメリカ社会の多民族化と都市文化の形成に大きな影響を与えた。
旧移民との違い
新移民が登場する以前の移住者は、主としてイギリス、ドイツ、アイルランド、スカンディナヴィアなど北西ヨーロッパ出身であり、英語系プロテスタント文化を共有する者が多かった。この人びとはしばしば「旧移民」と総称される。これに対して新移民は、イタリア、オーストリア=ハンガリー、ポーランド、ロシア、バルカン諸地域などから来たカトリックやユダヤ教徒、正教徒が中心であり、宗教的・民族的多様性が際立っていた。彼らは貧困農民や熟練を持たない労働者が多く、都市のスラムに集中して居住した点でも、従来の移民像と異なっていた。
流入を促した国際環境
新移民の流入には、送り出し地域と受け入れ側の双方の事情があった。ヨーロッパ側では、人口増加と土地不足、農業不況、徴兵制度や民族的差別などが人びとを海外へ向かわせた。また、交通技術の発達、とくに蒸気船と大西洋航路の整備は移動コストを大きく引き下げた。いっぽうアメリカ側では、急速な工業化と産業革命の進展により、鉱山・製鋼・繊維・食肉加工など多数の工場労働力が求められた。さらには大陸横断鉄道建設や都市インフラ整備が、安価で大量の労働者を吸収する場となり、移民募集広告がヨーロッパ各地へ配布された。
職業と都市社会
新移民は、ニューヨークやシカゴ、ボストンなど大都市の工場地帯に集中し、長時間労働と低賃金のもとで働いた。彼らはアパートメントの一室を複数家族で共有するような過密居住を強いられ、衛生状態の悪さや高い幼児死亡率が問題となった。他方で、同郷人同士が集まるエスニック・コミュニティを形成し、教会やシナゴーグ、相互扶助組合を通じて生活を支えた。こうしたコミュニティは、後に政党政治における票田ともなり、都市マシンと呼ばれる政治組織が新移民の支持を取り込むことで勢力を拡大した。
排外主義と移民制限
新移民の増加は、アメリカ社会の一部に強い警戒心と偏見を呼び起こした。英語を話さない「異質な」人びとが急増することで、賃金の引き下げや犯罪増加につながると主張する排外論者が現れ、労働運動や社会主義思想の拡大とも結びつけられた。南部で展開した黒人分離政策やジム=クロウに象徴される人種秩序のなかで、ヨーロッパ系の新移民もまた「望ましくない白人」として差別の対象とされることがあった。その結果、識字テストや出身国ごとの割当制など、各種の移民制限法が制定され、特に1920年代には南・東ヨーロッパからの流入が厳しく抑制された。
アメリカ社会への影響
新移民は、労働力として工業化を支えただけでなく、宗教・音楽・食文化など多方面でアメリカの都市文化を豊かにした。彼らの子孫は学校教育や軍務、職業上の上昇を通じて中産階級へ組み込まれ、「メルティング・ポット」と表現される民族的統合の一翼を担った。他方で、移民制限の強化と世界恐慌の経験は、アメリカが自由な移民の国であるという自己像に揺らぎをもたらした。新移民の歴史を検討することは、アメリカがいかにして多民族社会を形成し、どのような境界線を引いてきたのかを理解する手がかりとなる。
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