律令制度|法令と官制が支える古代国家の統治

律令制度

律令制度とは、中国の隋・唐の国家秩序を参照し、日本が7世紀末から8世紀にかけて整備した成文法と官僚制である。刑事法である「律」と行政・民事法である「令」を中心に、官職・位階・地方統治・土地と租税・兵制・司法・戸籍などを規定し、中央集権国家を運営するための総合フレームワークを提供した。大宝律令(701年)と養老律令(757年)はその中核であり、二官八省を頂点とする官司編成、国郡里制による地方支配、班田収授法と租調庸・雑徭の賦課、軍団・衛士・防人などの軍事制度、六年一造の戸籍・計帳などが制度的柱となった。

成立と歴史的背景

推古朝以降、遣隋使・遣唐使を通じて東アジア最先進の統治技術が流入し、大化改新(646年)で公地公民・戸籍志向の改革が方向づけられた。近江令(天智朝)や飛鳥浄御原令(689年)を経て、大宝律令(701年)が国家基本法として施行され、八省制・位階制・郡里制などの枠組みが確立した。養老律令(757年)は令文を中心に改訂・明文化を進め、後世の注釈(『令義解』『令集解』)や格式(「格」「式」)によって運用細則が補充され、平安期の実情に適合させられていった。

官制と中央政府の構造

中央には神祇官と太政官(「二官」)が置かれ、太政官の下に中務・式部・治部・民部・兵部・刑部・大蔵・宮内の「八省」が配置された。人事や叙位・任官は位階制と官位相当制で整序され、能力・功績を基準とする考課も規定された。太政大臣・左右大臣・大納言・参議からなる政務層と、各省の卿・大輔・少輔・大丞・少丞・史生などの実務層が分業し、文書行政と令式遵守によって国家意思を執行した。

地方統治と郡里制

地方は畿内・諸国に区分され、各国の国衙に国司(守・介・掾・目)が派遣されて、郡には在地の豪族層が郡司として編入された。住民は里(のち郷)に編成され、里長(郷長)が基層行政を担った。計画的な土地区画と道路網(条里制・駅制)が公的空間の骨格を成し、戸口・田地・賦役の把握が国郡里の書記・台帳によって維持された。こうして中央の法と命令が、文書・印信・勅符を介して末端まで浸透する仕組みが整えられた。

土地制度と租税・賦役

班田収授法は戸籍と連動し、正丁・次丁などの年齢区分に応じて口分田を給付し、一定年限の後に返還する原則を定めた。賦課は次のように体系化された。

  • 租:口分田に対する稲の地子。地域・収量に応じた比率で徵収する基幹租税。
  • 調:絹・布・特産物などの貢納。地域の生産特性を反映し、物納を原則とした。
  • 庸:中央での公役に代える物納(布など)または労役。出挙や雑徭と合わせて労働力を動員。
  • 雑徭:国司が掌握する臨時賦役。上限日数が法で規制された。

これらは公地公民の理論の下、戸籍・計帳・班田台帳により賦課根拠を明確化し、均等主義的な税体系を志向した点に特徴がある。

兵制・防衛と治安

軍団制は各国に兵士を常備し、中央には衛府の衛士が配置された。対外・辺境警備としては筑紫などに防人を設置し、海防・西海道の防衛に充てた。平安期には軍団の形骸化に対応して健児の採用や検非違使の治安機構整備が進み、実務志向の警察・裁断体制が重視された。兵部省は兵籍・装備・調練を所管し、駅伝・伝馬の通信・兵站は国家動員の神経系として機能した。

司法と刑罰・訴訟手続

「律」は犯罪・刑罰を定め、笞・杖・徒・流・死の五刑体系で法定刑を規格化した。「令」は戸婚・田令・戸令・選叙・衛禁など行政・民事の細目を体系化し、訴訟は文書主義・令式遵守の原則で進められた。刑部省は断獄の中枢を担い、弾正台は監察・風俗取締を担当して違法・不正を糾弾した。量刑は情状・赦宥との均衡を図る運用があり、格式や格例が累積して先例法としての側面も強まった。

戸籍・計帳と人口管理

六年ごとの戸籍作成(六年一造)と毎年の計帳作成は、賦課・徴発・徴税の基礎となった。戸は編成単位として里(郷)に配置され、丁男の把握は兵役・雑徭の割当根拠となる。戸籍は身分秩序(良民・賤民)や婚姻・相続・移住規制とも関連し、国家は人と田を法と帳簿で結びつけることで統治の可視化を実現した。

運用の変質と制度の展開

奈良から平安にかけ、班田収授の弛緩や浮浪・逃亡の増大、郡司層の在地化などにより、公地公民原理は動揺した。墾田永年私財法(743年)は私的土地集積を容認し、荘園の発達を促した。桓武朝では勘解由使の設置や健児制の採用などで行政・軍事の再編を図り、9〜10世紀には格・式の追加や先例の蓄積によって、令文の理念を現実の運用に適合させる柔軟化が進行した。やがて国衙の実務官人や在庁官人が台頭し、王朝国家の運営は律令法の枠内にありつつも、慣行・先例・宣旨による実務化がより前面に出るようになった。

東アジア世界における意義

律令は東アジア文化圏に広がる「文治国家」の共通言語であり、日本は唐制の移植と在地社会の折衷を通じて、天皇号・年号・詔勅・官僚制といった象徴と制度を整えた。外交文書・儀礼・法典は国際秩序の中で自国の正統性を示す道具となり、都城の条坊制や仏教保護政策なども合わせ、国家統合の文化的基盤を形成した。こうした移植と変容のプロセス自体が、日本の制度史・比較法制史の主要テーマとなっている。

用語補足(格式・令義解・令集解)

「格」は既存法(令)の修正・追加を行う詔勅体系、「式」は施行細則で、両者を総称して「格式」と呼ぶ。『令義解』(833年)は養老令の政府公認注釈で、条文解釈の統一を図った。『令集解』は多様な私注を集成して先例を体系化し、運用実務における参照枠となった。これらは成文法の硬直性を補い、時代状況に即した柔軟な法運用を可能にした。