張居正
張居正(1525–1582)は、明の隆慶・万暦帝初年に首輔(内閣首席大学士)として権力を掌握し、全国的丈量と賦役一元化、吏治刷新を断行した政治家である。彼の改革は「考成法」による目標管理と責任追及を軸に、財政・軍政・司法・地方統治を横断して実施され、国家財政を立て直すとともに中央集権を強化した。その急進性と実効性は同時代から賛否を呼び、死後には一時的に罪人視されたが、後世には明代最大級の改革者として再評価されている。
出自と登用
張居正は湖広江陵(湖北)に生まれ、若年で進士に及第した。翰林院に入り学識と政務能力を買われ、嘉靖末から隆慶朝にかけて台閣に進み、やがて内閣首輔として政権の中枢を担った。皇帝の幼少と宮廷内部の権力対立という不安定な条件下で、制度の側から国家を立て直す構想を固めた点に特色がある。
政治改革の中核―考成法と丈量田畝
全国の官庁と地方に年次目標を割り当て、成績を量的に査定して責任の所在を明確にする「考成法」は、張居正改革の中核である。これと連動して実施された全国的丈量(田畝実測)は、隠田の洗い出しと税基盤の再編を目的とし、従来の黄冊・魚鱗図冊の欠陥を補正した。結果として賦課の公平性が相対的に高まり、国家の歳入見通しが安定化した。
財政再建―一条鞭法と銀納の普及
一条鞭法の推進は、役銀・税銀を一括して銀で納めさせる運用を広域化し、労役の代替を制度化した点で画期的であった。商業の発達と銀流通の拡大を背景に、納税コストと行政コストの双方を引き下げ、軍餉・京師経費の手当を容易にした。とはいえ、銀供給の地域偏差や価格変動の影響を受けやすい脆弱性も内包していた。
吏治と官僚統制
官僚機構の弛緩に対して、張居正は勤務実績・文移処理・監察結果にもとづく査問を徹底し、冗員整理と汚吏摘発を進めた。人事では才能主義を掲げつつも、内閣の統制力を強め、地方との距離を詰めた。登用制度としての科挙は依然重視されたが、実務能力と法令遵守をより強調する運用に改められた。
対外と海防の運営
北辺の警備再編と軍餉整備を行い、遊兵を削減して戦備の実効性を高めた。倭寇の大規模活動が収束したのち、海禁の弾力的運用や朝貢貿易の再調整を通じて流通と治安の均衡を図った。専制強化の一方で海上秩序の現実的管理を重視した点に、彼の行政技術者としての面目が見える。
万暦帝との関係と失脚
幼帝を支える「輔政」は不可避に専横との境界を曖昧にした。張居正は宮廷の党争や宦官勢力を抑えつつ改革を進めたが、1582年の死去後、服喪問題などを口実に逆風が強まり、財産没収と名誉剥奪を受けた。とはいえ国家財政の基礎は維持され、のちに一定の名誉回復が行われた。
評価と意義
彼の遺産は、中央集権の制度的完成と、数値化・標準化にもとづく行政運営の常態化にある。後世の士大夫や東林党の一部は専断と倫理の問題を指摘したが、危機に瀕した国家を制度改革で立て直した功績は揺るがない。内閣権限の強化(内閣大学士)と地方統治の規律化は、明後期の政治構造を決定づけた。