失楽園
失楽園は、17世紀イングランドの詩人ミルトンが聖書「創世記」を題材として執筆した英語叙事詩である。人類の始祖アダムとイヴの堕罪と楽園追放、そして神と堕天使サタンとの対立を描き、「神の道の正しさを人間に示す」ことを目的とする作品と理解されている。英文学のみならず、思想史・宗教史・芸術史にまたがって読まれてきた西洋古典である。
作者と歴史的背景
ミルトンは清教徒革命期のイングランドで活動した詩人・思想家であり、共和政への期待とその挫折、視力の喪失など、激動の経験を経て失楽園を完成させたとされる。王政復古後の圧迫のなかで、彼は神の正義と人間の自由を詩のかたちで探究した。ヨーロッパ大陸では、同時期に規範的な文芸を重んじる古典主義(文学)が成立し、フランスでは国家的な文芸機関としてフランス学士院やアカデミー=フランセーズが整備されていたが、ミルトンは宮廷文化とは距離を取り、個人の信仰と良心の自由を最重要視する姿勢を貫いた。
物語の構成とあらすじ
失楽園は無韻律の長大な叙事詩で、神学的議論と壮大な戦闘描写、家庭的なエデンの情景が交錯する構成を持つ。物語は、すでに天上界から追放されたサタンが地獄で仲間の悪魔たちと再会し、人類を堕落させることで神に報復しようと決意する場面から始まる。サタンは混沌を越えて地上に侵入し、エデンの園にいるアダムとイヴを観察し、その愛と無垢さを妬ましく思う。やがてサタンは蛇に姿を変えてイヴを誘惑し、禁断の実を食べさせ、続いてアダムもそれに従うことで人類の堕罪が成立する。
- 天上界での堕天使たちの反乱と敗北、地獄での評議
- サタンの単独行動とエデン侵入、人間観察の場面
- 誘惑と堕罪、楽園追放、未来史の幻視という流れで、世界史の起点を神学的視点から叙述する。
主題―自由意志と神義論
失楽園の中心主題は、神の全能と人間の自由意志の両立である。神はあらかじめ人間の堕罪を知りつつも、それを強制せず自由な選択として許すことで、愛と服従の真実性を保とうとする。アダムとイヴは命令を破る可能性を含みながらも、最初は自発的に神を愛する存在として描かれる。堕天使サタンもまた自由意志を持つ存在であり、傲慢と嫉妬ゆえに自ら神への反逆を選び、その結果として堕落したと説明される。この「自ら選んだ堕落」という構図は、近代以降の倫理思想や宗教批判、たとえばニーチェやサルトルといった実存的・反神学的思考とも対比しうる問題系を示している。
サタン像と英雄性の問題
失楽園では、サタンは単なる邪悪な存在ではなく、雄弁でエネルギーに満ちた人物として造形される。そのため、後の世代の読者や批評家の中には、サタンこそが叙事詩の事実上の主人公であり、抑圧的な権威に抗う悲劇的英雄として読めるとする見解も生まれた。ロマン派の詩人たちはしばしばこのサタン像に共感し、権威との葛藤や個人の情念の高まりを読み取った。ほかの芸術分野でも、光と影、崇高と堕落の対比は、17世紀絵画のレンブラントやベラスケスの作品に通じるテーマであり、文学と美術が共有するバロック的感性の一例とみなされることがある。
文学史上の位置と影響
失楽園は、英語で書かれた叙事詩としてホメロスやヴァージルに並ぶ古典的地位を占め、のちの英文学において頻繁に参照・改作されてきた。神学的内容をもちつつも、英雄叙事詩の形式を用いている点で、ヨーロッパの宮廷文化や宗教文化、たとえば音楽のバッハ、視覚芸術のロココ美術、知識人の社交空間であるサロンと同様、17〜18世紀の文化的枠組みの中に位置づけられる。また、フランス古典劇や批評理論を通じて形成された規範的文学観に対し、ミルトンの叙事詩は宗教的高揚と個人の内面的葛藤を強調する点で独自の系譜を開いたと評価される。
日本における受容
失楽園は近代以降、日本語訳を通じて紹介され、聖書世界を題材とする西洋文学の代表作として読まれてきた。キリスト教思想や欧米文学を学ぶ過程で、ミルトンとともにニーチェやサルトルなどの思想家、さらにはフランス学士院やアカデミー=フランセーズといったヨーロッパの文化制度を合わせて学ぶことにより、宗教・文学・社会の関係を立体的に理解する手がかりとなっている。