五銖銭|漢代の標準銭貨として広域に長期流通

五銖銭

五銖銭は、前漢の武帝期(紀元前118年頃)に制度化された青銅貨で、表面に「五銖」の文字を刻み、円形に方孔を穿つ形状をとる。先行する半両銭に代わり、全国的な流通標準として機能し、以後、隋初まで約700年にわたり東アジアで最も長命な基軸貨幣となった。度量衡に基づく重量規格、官営鋳造、品質統制を通じて市場の統合を促し、租税・軍需・専売政策の実行基盤を与えた点に特色がある。

成立と制度化

武帝は度量衡の統一と財政基盤の強化を目的に、半両銭の雑多な私鋳・軽量化を是正するため五銖銭を制定した。中央の少府や上林三官など官営体系が鋳造を担い、一定の重量・直径・銘文の統一をはかった。これにより各地の交易圏が接続され、布帛・塩鉄などの物資と銭貨の交換が安定化し、国家による価格統制や徴税が実務上可能となったのである。

名称と度量衡

「銖」は重量単位で、1両=24銖とされる体系の中で「五銖」は相対的に軽量である。半両銭(約12銖)より軽いが、制度上の許容範囲に収められ、秤量貨幣的な発想を名目貨幣に接続した点に意義がある。実測品では約3〜4グラム台に収束し、銅・錫・鉛の合金比率によって微差が生じた。

形状と製造技術

形状は円形方孔で、表面に「五銖」の二字を鋳出し、裏面は無文が基本であるが、時期や工房により点・線・記号様の鋳出や穿孔痕が見られる。連鈕鋳造で鋳枠に多数の銭胚を並べ、湯道を切断・磨整して仕上げる。量産性と均質性の両立が目標とされ、縁(廓)と穿(方孔)の整形が視認性と鑑別性を高めた。

重量と規格の目安

  • 重量:概ね3.0〜4.0グラム前後(合金比で変動)
  • 直径:20ミリ台中盤が中心(地域差・世紀差あり)
  • 銘文:楷定の「五銖」二字(書体差・筆勢差が多様)

流通圏と経済的役割

五銖銭は首都圏から群郡県へと配賦され、年貢の貨幣納・官給の俸給・軍糧の調達・市場交易の媒介に広く用いられた。度量衡に依拠した名目重量は価格表記の基準となり、遠隔地取引の決済コストを縮減した。これにより商人の回転が上がり、国家は税収の安定化と財貨動員の即応性を獲得した。

私鋳・改鋳と品質問題

長期流通は同時に私鋳・磨耗・軽量化の誘因ともなった。地方で鉛分を高めた私鋳品が混入すると購買力は低下し、良貨の退蔵(いわゆる悪貨は良貨を駆逐)が起きる。これに対し官は鋳造所の統制・旧銭の回収・改鋳を反復し、標準回帰を図った。規格外品の選別・破砕は市場の信頼回復に寄与した。

新朝の貨幣改革と復帰

王莽の新朝は多体系の新貨を連続導入し、物価の乱高下と偽鋳横行を招いた。新朝崩壊後、後漢は五銖銭の枠組みに復帰し、再び日常決済の標準となる。秩序回復は、統一的な銭制が市場の期待形成と価格安定に決定的であることを再確認させた。

三国・西晋・東晋〜南北朝の展開

後漢末の混乱期から三国時代にかけても五銖銭は基準銭として扱われ、各政権は旧銭の改鋳と新鋳を併用した。西晋の統一は一時的に品質を回復させたが、東晋〜南北朝期には地域差が拡大し、軽量化や小型化の傾向もみられる。それでもなお「五銖」の銘と形式は通用力を保ち、交換標準の記号として機能し続けた。

隋唐交替と開元通宝への移行

隋は統一過程で貨幣秩序の整理を進めたが、唐の武徳・貞観期に至り「開元通宝」が制定され、長世紀に及んだ五銖銭体系は終幕を迎える。新貨は銘文・書体・意匠を刷新し、名目価値と実質規格の関係を再設計した。とはいえ、方孔円銭という基本図式は継承され、制度記憶は次代貨幣に受け継がれた。

日本への伝来と出土

東アジア広域の交易・贈答・搬入を通じて五銖銭は日本列島にも流入し、弥生末〜古墳時代の遺跡・古墳から出土例が知られる。通用貨としての使用だけでなく、威信財・装飾付属・祭祀具としての二次的機能も指摘され、円形方孔という象徴性が権威表象に用いられた可能性がある。

考古学・貨幣史研究の意義

出土環境・合金組成・磨耗度・銘文書体の比較は鋳造年代や工房差を指標化し、政治史・経済史・技術史を架橋する。長期にわたる規格貨の運用は、国家が市場に介入する際の「単位・品質・供給」の三要素が決済制度の安定を左右することを示し、東アジア貨幣の連続性と制度革新の節目を読み解く鍵となる。