五代十国の争乱|群雄割拠と王朝交替の連鎖

五代十国の争乱

中国中世の転換点である五代十国の争乱は、唐末の黄巣起義を端緒として、北方の短命王朝が交替しつつ南方に諸国が並立した約1世紀の分裂期である。北では後梁・後唐・後晋・後漢・後周の五王朝が首都中原を争奪し、南では江南・四川・嶺南などに経済力と都市文化を背景とする十余の地域政権が存立した。軍事面では藩鎮の私兵化と騎兵・歩兵混成の機動戦、政治面では節度使出身者の即位と門閥から武人層への権力移行、経済面では両税法・塩専売・飛銭など唐制の継承と江南経済の台頭が進行し、最終的に趙匡胤が宋を建てて再統合へ向かった時代である。

背景と発端―唐末の乱と藩鎮の自立

9世紀後半、唐は財政疲弊と軍閥化が進み、塩の密売弾圧や課税強化が社会不安を増幅した。874年に王仙芝・黄巣らの大規模蜂起が発し、長安は一時占領され政治秩序は崩壊した。討伐に動員された節度使は実力を蓄え、朝廷の統制を離れて歳賦・軍権・任免を掌握する「割拠」へと進んだ。こうして中原の覇権は、朝廷の任命よりも兵力と財源を握る地方軍閥の力学で決まる構図となった。

五代の交替―後梁から後周まで

  • 後梁(907–923):朱全忠が唐を廃し建国。専制強化と財源確保を試みるが、河北の李存勗に敗れる。
  • 後唐(923–936):李存勗・李嗣源の政権。内訌で弱体化。
  • 後晋(936–947):石敬瑭が契丹の支援で即位し、燕雲十六州を割譲。これが北方戦略の宿痾となる。
  • 後漢(947–951):劉知遠が創建するも短命。
  • 後周(951–960):柴栄(世宗)が軍政改革と中原回復を進め、再統合の基盤を整える。

十国の形成と地域世界

南方では、呉・南唐・楚・閩・南漢・前蜀・後蜀・呉越・荊南(南平)・北漢などが各地の商業圏・水運網・城郭を基盤に存立した。長江下流の呉越は水利と海運を整備し、南唐は金陵の文雅と対外交易で栄え、四川の前後蜀は山城と豊かな農産で防御と文化を両立した。諸国は互市と婚姻外交を通じて緊張を管理し、貨幣・塩・茶・絹といった戦略物資の流通で結びついていた。

軍事と統治―藩鎮・禁軍・兵農分離

唐末以来の藩鎮は、募兵の常備軍化と財政自立で半独立の政権化を遂げた。五代諸朝は皇帝直轄の禁軍を強化して藩鎮抑えに用い、騎兵の機動と歩兵の攻城戦を組み合わせる運用を洗練した。後周世宗は軍制・租税を整理し、兵農分離を進めて戦時動員の即応性を高めたが、広域統合にはなお時間を要した。

財政・経済―両税法の継承と江南の勃興

税制は唐の両税法を骨格として存続し、地税・戸税の夏秋二税に商税や市易が加わった。塩専売は依然として国家財政の柱であり、密売取締りは治安政策と直結した。遠隔地送金には飛銭が用いられ、成都・揚州・杭州・広州の市が繁栄して都城財政を支えた。稲作・手工業・海上交易の伸長により、江南は中原の混乱期にも生産と富を蓄え、やがて宋代の経済重心移動を準備した。

文化と社会―戦乱下の学芸と都市生活

戦乱期ながら士人大夫の文筆は各地で続き、江南諸国は文教を保護して科挙を細々と継続した。仏教は江南・蜀・嶺南で帰依を集め、石窟・寺院の造営が続く。都市では市舶交易と手工業が結びつき、行市・夜市の活況が新しい都市生活を形づくった。これらの文化的蓄積は統一後の宋学・都市文化の母胎となった。

宋の建国と再統合への道

960年、陳橋兵変で趙匡胤が即位して宋を建て、後周の制度遺産と江南の財力を取り込みつつ、節度使の権限を文臣に収斂させた。北漢・南唐・呉越・後蜀などは次第に併合・帰順し、979年に北漢が平定されて大勢は定まる。燕雲の地は遼(契丹)・金との角逐に委ねられるが、中原と江南は一本の行政・経済システムへ再統合された。

外交と北方世界―遼・党項との関係

後晋による十六州割譲は、山海関以南の戦略線を後退させ、契丹(遼)に華北進出の橋頭堡を与えた。五代諸朝は遼・党項(西夏の前身)との冊貢・和戦を織り交ぜて辺境の安定を模索したが、北方勢力との力学は宋代にも継続する課題となった。

史料と年代観

本期の基本史料は『旧五代史』『新五代史』および『資治通鑑』であり、政権交替や戦役の叙述が中心である。時代幅は一般に907年の後梁建国から979年の北漢滅亡までを目安とするが、実態としては唐末の875年前後から南方諸国の統合に及ぶ連続的過程として捉えるのが妥当である。地域的には中原の王朝交替と、江南・四川・嶺南の地域国家発展を有機的に併観する必要がある。