中書門下省
中書門下省は、中国の隋唐期に整えられた三省制のうち「中書省」と「門下省」を合わせて指す呼称であり、詔勅の立案と審査を担う政務中枢である。唐では中書省が草制・起草、門下省が審署・封駁を担当し、尚書省が執行を担う分業が成立した。宋では制度再編により実務上一体化した「中書門下」として機能し、宰相は「同中書門下平章事」の号を帯びて政策決定を主導した。結果として、中書門下省は皇帝権力を支えると同時に、詔勅の妥当性を審査するブレーキとして働く仕組みを体現した。
起源と制度的位置
隋の中央集権化を受け、唐で三省六部制が完成すると、中書・門下・尚書の三省が分掌した。中書省は皇帝意思を文書化する草制機関、門下省はそれを読み合わせて可否を判断する審査機関、尚書省は六部を統轄して行政執行を行う機関である。中書門下省という表現は、中書と門下が詔勅文の作成から可否判定までを連続的に担い、政治判断の核心を形成したことを示す呼び名である。ここで門下省が行使する「封駁」は、皇帝の命令であっても法理や先例に反すれば差し戻す強い審査権であり、唐の政治文化における制度的節度を象徴した。
唐代の運用と官職
唐初期の中書省長官は中書令、門下省長官は侍中であるが、実務は中書侍郎・中書舎人、門下侍郎・給事中などが担った。中書省では知制誥・中書舎人が詔勅や制書・勅書の文体を整え、門下省では黄門侍郎や給事中が条理を審す。中期以降、宰相号として「同中書門下三品」「同中書門下平章事」などが用いられ、複数名の宰相が合議で政務を処理する体制が一般化した。これにより、中書門下省の審議は皇帝の意思と官僚制の専門知を媒合する場となり、過度の恣意性を抑える効果を持った。
宋代の再編と権力構造
宋では軍政の樞密院や財政の三司との均衡を重視し、中書と門下を事実上一体化した「中書門下」を政治決定の中心に置いた。宰相は「同中書門下平章事」、副宰相に相当する「参知政事」が配置され、皇帝—中書門下省—樞密院—尚書省(形式的機構)の重層構造が成立した。これにより、軍事・財政・文治の相互牽制が働き、北宋の文治的統治は制度的裏付けを得た。科挙で登用された文臣が政策立案を担い、門下的審査機能は詔勅の合理性確保に寄与した。
元・明・清への継承と変容
元は門下省を廃して中書省を中央の総合内閣とし、地方には行中書省を置いたため、中書門下省の二重構造は解消された。明初は中書省を復活させたが、洪武期の政治改革で中書省は廃止され、票擬を担う内閣が台頭する。清は内閣と軍機処により機密政務を処理し、三省的枠組みは観念史上の参照点として残るのみとなった。こうして、中書門下省の制度理念は「起草—審査—執行」の役割分担として東アジア官僚制の記憶に刻まれた。
職掌と文書手続の流れ
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立案(中書):皇帝の意向・廷議の結論を受け、中書省が制勅文言を草する。知制誥や中書舎人が典章・先例に照らして条文を整える。
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審査(門下):門下省が本文を精読し、法理欠缺・手続違背を発見すれば「封駁」で差し戻す。適正と認めれば「署可」し、次段へ送付する。
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執行(尚書):尚書省が六部に配下し、行政命令として施行する。ここで初めて政策が全国官僚制に浸透する。
用語補説:封駁と「同中書門下平章事」
封駁は門下省の核心権限で、君主意思の文書化過程に制度的抑制を加える機構である。これに対し「同中書門下平章事」は宰相の職号で、中書・門下の権限を総攬しつつ合議制を前提に政策を裁可する。両者の緊張関係が、中書門下省のダイナミズムを生み、政策の質的担保に寄与した。
東アジアへの影響と日本史との関係
東アジア諸国は三省六部を直接的に受容したわけではないが、詔勅の起草と審査を分立させる理念は広く参照された。日本の律令制は太政官—八省の枠組みで展開し、中書・門下の名称自体は用いないものの、文案起草と審査の分担は官司制の運用上意識された。宋制研究は、中書門下省を鍵に文治主義と官僚制合理性の問題を論じる上で重要な視角を与えている。
史料と学術的評価
研究上の主要典拠は『旧唐書』『新唐書』『通典』『文献通考』『宋史』などの制度志である。近代以降の制度史学は、中書門下省を皇帝独断を抑制するプロセス的装置として評価し、詔勅の法的正当化・整合性確保の仕組みとして位置づけた。とりわけ宋の「同中書門下平章事—参知政事—樞密院」の三角関係は、軍政・民政・文治の均衡モデルとして注目され、官僚制の専門知が政策決定に組み込まれる構造を明らかにしている。