七月革命
七月革命は、1830年7月にフランスで起こった市民蜂起であり、ブルボン朝の国王シャルル10世を退位に追い込み、新たに「市民王」ルイ・フィリップを戴く七月王政を成立させた出来事である。旧体制の復活をめざした復古王政に対し、都市の中産市民や労働者が抵抗し、近代的な立憲体制と自由主義の広がりを象徴する転換点となった。
ブルボン復古と保守反動
1814年のナポレオン失脚後、フランスではブルボン家が復活し、ルイ18世とシャルル10世のもとで復古王政が続いた。この体制は一応は立憲君主制であったが、貴族や聖職者の特権を重んじ、フランス革命で獲得された自由や平等の成果を制限しようとしたため、都市のブルジョワジーや知識人の不満が高まっていった。また、戦後秩序を定めたウィーン体制がヨーロッパ全体で自由主義とナショナリズムを抑圧していたことも背景にあった。
勅令発布と危機の深まり
七月革命の直接のきっかけは、1830年7月にシャルル10世が公布した「七月勅令」である。これは新聞の検閲強化、選挙法の改悪、代議院の解散などを命じるもので、選挙によって伸長していた自由主義派を一挙に抑え込もうとする措置であった。これに対し、新聞人や弁護士、銀行家などのブルジョワ層は憲法違反だとして抵抗を呼びかけ、パリ市内では印刷工を中心にストライキやデモが広がっていった。
三日間のバリケード闘争
1830年7月27日から29日にかけての「栄光の三日間」と呼ばれる期間に、七月革命は頂点に達した。パリ市街では労働者や職人、学生が街路にバリケードを築き、王政軍と激しく交戦した。やがて一部の軍人や国民衛兵も民衆側に転じ、王政軍は劣勢に陥る。宮廷は地方への脱出を余儀なくされ、シャルル10世はついに退位を決意した。
七月王政の成立とヨーロッパへの波及
王位は正統ブルボン家ではなく、比較的自由主義的とみなされたオルレアン家のルイ・フィリップに与えられ、七月王政が始まった。新体制は制限選挙にもとづく立憲君主制であり、政治の主導権は大商工業ブルジョワジーに集中したが、それでも七月革命は市民の力が王権を打倒し得ることを示した出来事として大きな意味をもった。この成功は、ベルギー独立をもたらした1830年の蜂起や、ポーランド・イタリア・ドイツ諸邦の運動など、ヨーロッパ各地の国民国家形成と自由主義運動に強い刺激を与えた。
七月革命の歴史的意義
七月革命は、近代フランス史とヨーロッパ史において次のような意義をもつとされる。
- 王権よりも議会と憲法の優位を示し、立憲主義の発展を促した。
- 都市ブルジョワジーが政治の主役として台頭する契機となった。
- 各地の自由主義・ナショナリズム運動に実践的なモデルを与えた。