ヴァスコ=ダ=ガマ|インド航路を開いた航海者

ヴァスコ=ダ=ガマ

ポルトガル王国の航海者ヴァスコ=ダ=ガマは、1497年から1499年にかけてヨーロッパからインドへの海路を初めて開いた人物である。この航海によって、ヨーロッパとインド洋世界が直接結ばれ、香辛料貿易の構造や地中海世界の勢力均衡は大きく変化した。ガマの航海は、アフリカ西岸への探検を推し進めたエンリケらの試みや、アフリカ南端を回ったバルトロメウ=ディアスの成果を前提としており、「ヨーロッパ世界の拡大」を象徴する事件として位置づけられる。

生涯と時代背景

ガマは15世紀後半、ポルトガル南西部の港町シネス近郊の小貴族の家に生まれたとされる。若年期については不明な点が多いが、王室に仕える軍人・航海者として経験を積み、アフリカ西岸への攻撃や護衛任務に従事したと伝えられる。彼が活躍した時期、ポルトガル王国は大西洋の諸島や北アフリカの拠点を足がかりに、インド洋への新たな海路獲得を国家目標として掲げていた。

15世紀以降、ポルトガルはモロッコ沿岸のセウタをはじめ、マディラ島アゾレス諸島、さらにアフリカ西岸の諸港を次々と支配下に入れた。こうした拡大は、海上覇権をめぐるカスティリャ王国との競合や、イスラーム勢力との対抗意識と結びついていた。ガマのインド航海は、その延長線上に位置づけられる国家的事業であった。

第一次インド航海(1497〜1499年)

1495年に即位したマヌエル1世は、インドへの直接航路を国家規模で追求し、その艦隊司令官にガマを任命した。1497年、ガマは4隻から成る艦隊を率いてリスボンを出航し、カナリア諸島を経てヴェルデ岬沖を南下した。その後、先行するバルトロメウ=ディアスの航路を踏まえつつ、大西洋南部で西へ大きく迂回する「ボルタ・ド・マール(海の転回)」を利用し、アフリカ南端へ向かった。

  • 大西洋を南下しアフリカ南端の喜望峰を通過
  • 東アフリカ沿岸のモザンビーク、モンバサ、マリンディなどの港に寄港
  • マリンディでインド洋航海に熟達した水先案内人を得てインド西岸へ

1498年、ガマ艦隊はついにインド西岸の港町カリカット(コーリコード)に到達した。ここはインド洋香辛料貿易の一大拠点であり、すでにイスラーム商人やアジア各地の商人が集まる国際商業都市であった。ガマは現地支配者との交渉を通じて交易を試みたが、持参した贈呈品が貧弱であったこと、既存のムスリム商人の反発などもあり、十分な商業的成果を得ることはできなかった。

それでも、この航海はヨーロッパからインド洋世界への直接航路が現実に利用可能であることを証明し、帰国したガマは大きな名声と報奨を得た。香辛料をはじめとするアジア産品が地中海の中継地を経ずにヨーロッパの港へもたらされる可能性は、後の近世ヨーロッパの成立に決定的な影響を与えることになる。

第二次・第三次航海とインド支配の確立

ポルトガル宮廷は第一次航海の成功を受け、インド洋における通商と軍事的優位の確保を急いだ。1502年、ガマは第二次インド遠征艦隊の司令官に任命され、多数の武装ガレー船・大型帆船を率いて再びインドへ向かった。この遠征では、単なる探索や交易ではなく、海上封鎖と砲撃によってイスラーム商船を攻撃し、港湾都市に対してポルトガルへの従属と要塞建設を求めるなど、軍事行動の性格が強まった。

こうした行動は、インド洋世界の既存勢力にとっては暴力的侵入であり、多くの犠牲を伴った。一方で、ポルトガル側から見れば、香辛料貿易の利権を確保し、のちの「インド副王」と呼ばれる統治機構を整えるための手段であった。1524年、ガマは老年に達してから再びインド副王として派遣され、コーチンで病没したと伝えられる。このように彼の生涯は、インド航路開拓とインド支配の形成に深く結びついている。

遠洋航海術と技術的背景

ガマの航海は、突然生まれた偉業ではなく、15世紀の遠洋航海術の発展の集大成であった。改良された羅針盤や天文航法、アストロラーベなどの計測器、より多くの積荷と武装を可能にした大型帆船の発展、さらに大西洋の風系や海流に関する経験的知識が組み合わされていた。マディラ島アゾレス諸島などの大西洋の島々は、こうした航海技術を試験し蓄積する拠点となった。

また、アフリカ南端の喜望峰を回る航路は、先行するバルトロメウ=ディアスによって開かれていた。ガマはその成果を踏まえ、より大規模で組織化された探検隊としてインドに到達したのであり、彼の成功は技術的・組織的基盤に支えられていたと理解されるべきである。

ヴァスコ=ダ=ガマの歴史的意義

ガマの航海によってヨーロッパとインド洋は直接結びつき、アジアの香辛料や綿織物がより大量にヨーロッパ市場へ流入した。その結果、地中海経由で東方貿易を支配してきたヴェネツィアやイスラーム商人の優位は揺らぎ、大西洋岸のポルトガルやスペインが新たな覇権国として台頭した。この変化は、のちにオランダやイギリスが参入しイギリス東インド会社などが設立される流れともつながり、グローバルな通商ネットワークの起点となった。

同時に、ガマの航海は、暴力的制圧や宗教的対立をインド洋世界にもたらした側面も持つ。近年の歴史研究では、彼を単なる英雄的探検家として描くのではなく、アジア世界における征服と植民地支配の嚆矢として批判的に捉える視点も重視されている。ヴァスコ=ダ=ガマは、「インド航路の開拓」と「ヨーロッパ世界の拡大」を象徴する人物として、現在も多面的に検討される歴史上の存在である。