ローザンヌ会議
ローザンヌ会議は、第一次世界大戦後のドイツ賠償問題を最終的に整理することを目的として、1932年にスイスのローザンヌで開かれた国際会議である。ヴェルサイユ条約で課された巨額の賠償金、ドーズ案やヤング案による再編、さらに世界恐慌の深刻化によって機能不全に陥った賠償制度を見直す場として、イギリス・フランス・ドイツなど主要国が集まり、賠償の実質的な終了に向けた合意形成が図られた。
背景―ヴェルサイユ体制と賠償問題
第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約はドイツに対し巨額の賠償支払いを義務づけ、これがワイマール共和国の財政と経済を圧迫した。賠償支払いが滞ると連合国はルール占領に踏み切り、その後、支払い方式を調整するためにドーズ案・ヤング案が策定された。しかし、世界恐慌の発生により国際金融市場が混乱すると、これらの計画は維持が困難となり、アメリカ大統領フーヴァーは1931年にモラトリアム(一時停止)を提案する。このように賠償制度全体が立ち行かなくなったことがローザンヌ会議開催の直接の契機となった。
会議の開催と主要参加国
ローザンヌ会議は1932年6月から7月にかけて開催され、主にイギリス・フランス・ドイツの3か国が中心的役割を担った。さらに、ベルギーやイタリアなど賠償問題に利害を持つ諸国も協議に関与した。会議の焦点は、ドイツがこれ以上賠償を支払える状況にないことを前提に、どのような条件で賠償を整理し、連合国側の対米戦債との関係をどう処理するかという点に置かれた。
協議の焦点―賠償支払いの整理
ローザンヌ会議では、次のような論点が集中的に議論された。
- ドイツが今後支払うべき賠償総額をどこまで削減するか
- 賠償削減と引き換えに、連合国がアメリカに対して負っている戦債をどのように処理するか
- 賠償問題の決着がヨーロッパ経済の安定と国際協調に与える影響
フランスは自国の安全保障と財政負担から慎重姿勢を崩さず、イギリスはヨーロッパ経済の再建を優先して賠償軽減に前向きであった。ドイツは、世界恐慌と国内の失業・政治不安を理由に、賠償の大幅な削減ないし事実上の廃止を強く求めた。
ローザンヌ協定の内容
ローザンヌ会議の結果、1932年7月に締結されたローザンヌ協定は、ドイツ賠償の大幅削減と将来の最終打ち切りを骨子とした。形式的には、ドイツが比較的少額の残余支払いを行う可能性を残したが、その履行はアメリカ議会が対欧戦債の軽減を承認することを条件としていた。実際にはアメリカ側の承認が得られなかったため、この支払いは行われず、ヴェルサイユ条約以来続いてきたドイツ賠償は事実上ここで終焉を迎えたと評価される。
政治的・経済的意義
ローザンヌ会議の意義は、第一に、戦後ヨーロッパを長年拘束してきた賠償問題に終止符を打った点にある。これはドイツ経済に一定の安堵をもたらす一方、連合国にとっては対米戦債回収の見通しを失わせるものであり、戦後国際金融秩序の崩壊を象徴していた。第二に、この会議は世界恐慌の深刻さゆえに、戦勝国であっても旧来の賠償請求を維持し得ないことを示し、国際経済協調の必要性を浮き彫りにした。だが同時に、失業と社会不安に苦しむドイツ国内では、賠償問題の解消だけでは状況が改善せず、ナチスなど急進勢力が台頭する土壌も残された。
その後の展開
ローザンヌ会議による賠償整理は、ヴェルサイユ体制の実質的な後退を示すとともに、戦後国際秩序の行き詰まりを象徴する出来事であった。会議から間もない1933年にはドイツでヒトラー政権が成立し、国際協調よりも再軍備と勢力拡大が優先されていく。こうして、賠償問題の終焉は必ずしもヨーロッパの安定を意味せず、むしろ第二次世界大戦へと至る過程の一局面として位置づけられている。