ロレーヌ
ロレーヌはフランス北東部に位置する歴史的地域であり、現在のフランス東境界線沿いに広がる内陸地方である。モーゼル川やムルト川流域の肥沃な平野と工業地帯を含み、古くはフランス王国と神聖ローマ帝国のあいだで争奪の対象となった「境界の地」として知られる。中世にはロタリンギアの一部として分割と再編を繰り返し、近世にはロレーヌ公国として独自の王侯をいただきながらも、周辺大国の勢力争いに巻き込まれていった地域である。
地理的特徴と名称の由来
ロレーヌはライン川西方、モーゼル川上流域からヴォージュ山脈にかけて広がり、アルザスとともにフランスとドイツ語圏を結ぶ交通の要地となる。名称は中世の「ロタリンギア」(ラテン語のロタリンギア、ロタールの土地)に由来し、その西部がフランス語形の「ロレーヌ」と呼ばれるようになった。東西ヨーロッパを結ぶ回廊に位置したため、軍事的・経済的に重要であり、フランク王国分裂以後の諸王権や神聖ローマ帝国、のちのフランス絶対王政の勢力が交錯する舞台となった。
中世のロレーヌ公国
中世のロレーヌは、東フランク王国・神聖ローマ帝国の支配圏に属し、ロレーヌ公国として公爵家が成立した。ロレーヌ公は帝国諸侯として皇帝選出や帝国政治に関わる一方、西方のフランス王国ともしばしば同盟・婚姻関係を結んだ。ロレーヌ公国は都市ナンシーやメスなどを中心に、農業と交易で繁栄したが、その位置ゆえに度重なる戦争の通路となり、百年戦争や三十年戦争の時期には各国軍が行き来し、人口や経済に大きな打撃を受けた。
フランス絶対王政との対立と従属
近世に入ると、ルイ14世の時代のフランス絶対王政は国境の安全保障と勢力拡大をめざし、東方のロレーヌに圧力を強めた。三十年戦争やアウクスブルク同盟戦争の過程でフランス軍はロレーヌを占領し、公国はたびたび亡命と帰還を繰り返す。やがてスペイン継承戦争終結後のユトレヒト条約やラシュタット条約など一連の講和体制のなかで、ロレーヌ公国の地位は国際政治の交渉材料となり、フランスは実効支配を強めていった。
ポーランド継承戦争とフランスへの編入
ロレーヌの運命を決定づけたのが18世紀前半のポーランド継承戦争である。戦後のウィーン条約体制のもとで、ロレーヌ公国はポーランド王位を失ったスタニスワフ・レシチニスキ(ルイ15世の岳父)に与えられ、彼の死後には地域全体がフランス王家の領土となることが取り決められた。この妥協案によって、公国としてのロレーヌは事実上の終焉を迎え、1766年にスタニスワフの没後、正式にフランス王領へ編入された。ここには、東方ハプスブルク勢力との緩衝地帯を確保しようとするルイ15世政権の対外政策が反映していた。
アルザス=ロレーヌと独仏対立
19世紀になると、普仏戦争の結果として1871年にアルザスとロレーヌの一部はドイツ帝国に併合され、「アルザス=ロレーヌ」として帝国直轄領とされた。この事態はフランスにとって深刻な国民的屈辱となり、失地回復は第三共和政の外交目標となる。第一次世界大戦後、ヴェルサイユ条約によりアルザス=ロレーヌはフランスに返還されたが、独仏対立の象徴としての性格は第二次世界大戦まで続いた。こうした経緯から、ロレーヌはヨーロッパ国民国家の形成と国境線の変動を考えるうえで重要な事例となっている。
文化・社会と国境地域としての性格
ロレーヌはラテン系とゲルマン系の文化が交錯する地域であり、フランス語とドイツ語系方言が併存してきた。宗教面ではカトリック信仰が強く、修道院や聖堂が各地に建設される一方、近世には宗教戦争の影響も受けた。工業化の進展とともに鉄鋼業や炭鉱が発展し、20世紀にはフランス有数の工業地域となった。今日のロレーヌは行政区画の再編を経てグラン・テスト地域圏に含まれるが、歴史的にはルイ14世やルイ15世の時代の対外政策、さらにはスペイン継承戦争やポーランド継承戦争と密接に結びついた、ヨーロッパ国際政治の焦点となった土地として理解される。