モンテネグロ
モンテネグロはアドリア海に面した小国であり、ヨーロッパ南東部のバルカン半島に位置する。北と東でセルビア、西でボスニア・ヘルツェゴビナやクロアチアと接し、南ではアルバニアと国境を接する。険しい山岳と短い海岸線という対照的な自然環境をもち、歴史的には山岳を拠点に外敵と戦い続けた「抵抗の国」として知られ、近年は観光地として国際的な注目を集めている。
地理と人口
モンテネグロの国土は面積こそ小さいが、標高差が大きく、海岸部・山岳部・内陸盆地と多様な地形が広がる。海岸部にはコトル湾など入り組んだリアス式海岸が見られ、内陸にはカルスト地形の高原や深い峡谷が形成されている。首都はポドゴリツァであり、歴史的な王都ツェティニェも政治・文化の象徴とされる。人口はおよそ数十万人規模にとどまり、バルカン諸国のなかでも人口の少ない国家である。
- アドリア海沿岸部は観光と港湾を中心とする地域
- 内陸山岳部は農牧業と水力発電が重要な地域
歴史的展開
モンテネグロの起源は、中世にこの地域に成立したゼタ公国やセルビア系諸国家にさかのぼる。周辺ではオスマン帝国が勢力を拡大したが、山岳地帯を拠点とした支配者層は宗教指導者と世俗君主を兼ねる独特の形態で自立性を維持した。19世紀になると、ギリシア独立や第一次世界大戦へと続く「東方問題」のなかでその存在感が国際的に認知され、1878年のベルリン会議(1878)で独立国家として承認された。
ユーゴスラビアと独立
20世紀に入ると、モンテネグロは第一次世界大戦後に周辺の南スラブ諸民族とともに国家統合を進め、ユーゴスラビア王国の一部となった。第二次世界大戦後は社会主義連邦共和国の構成共和国として位置づけられ、他の共和国と同様に社会主義体制の下で工業化や教育の拡充が進められた。冷戦終結後、ユーゴスラビアが崩壊すると、モンテネグロはしばらくのあいだセルビアとの国家連合を維持したが、2006年の住民投票を経て独立国家として再出発した。
政治制度と外交関係
モンテネグロは共和制と議会制民主主義を採用し、大統領と議会、首相を中心とした政治制度を持つ。冷戦後のバルカン紛争を経験した地域にあって、対外的には安定と国際社会への統合を重視し、NATO加盟や欧州連合との関係強化を進めてきた。小国でありながら、アドリア海への出口とバルカン内陸部を結ぶ位置にあるため、地域安全保障や交通インフラの面で戦略的な重要性を有している。
経済と社会
モンテネグロの経済は、伝統的な農牧業に加え、サービス業、とくに観光業の比重が大きい。アドリア海沿岸のリゾート開発や歴史的都市部の保全は、周辺のバルカン半島諸国との連携のもとで進められてきた。社会構成はモンテネグロ人、セルビア人、ボシュニャク人、アルバニア人など多様な民族・宗教から成り、正教・カトリック・イスラームが共存する多文化社会となっている。
文化・観光と国際的イメージ
文化面では、正教会建築や山岳の修道院、オスマン支配期の都市景観など、東西世界の影響が交錯する遺産が残る。コトル旧市街などは世界遺産にも登録され、歴史的建造物と自然景観を組み合わせた観光資源として評価されている。こうした歴史と自然を背景に、モンテネグロは紛争後のバルカン半島において、安定と観光立国を目指す国家として国際社会の関心を集めている。