メンデル|遺伝法則を解き明かす修道士

メンデル

メンデルは、19世紀に活躍したオーストリア帝国(現在のチェコ)の修道士であり、エンドウマメの交配実験から遺伝の規則性を示したことで「遺伝学の父」と呼ばれる人物である。彼の研究は当時ほとんど注目されなかったが、20世紀初頭に再発見されて以降、現代生物学・農学・医学の基礎理論となり、DNAの発見や遺伝子工学の発展にもつながった。産業革命以後の科学技術が市民生活を大きく変えた流れ(科学技術と市民生活)の中で、メンデルの仕事は目に見えない「形質の伝わり方」を数量的に捉えた点で画期的であった。

生涯と時代背景

メンデルは1822年、貧しい農民の家に生まれた。若い頃から勉学に優れたが、家計が苦しく、学費を工面するために家庭教師として働きながら学問を続けた。のちにブルノのアウグスチノ会修道院に入り、修道士となってから本格的に自然科学の研究に取り組む。修道院には図書館や実験設備が整い、ドイツ語圏で発展していた物理学・化学・生物学の成果、たとえば化学者リービヒや物理学者ファラデーの研究が伝えられており、これらがメンデルの思考にも影響を与えたと考えられる。19世紀前半は自然科学が急速に専門化し、数量的手法が導入されていく時期であり、彼の研究もこの時代的潮流の中で理解される。

研究の背景と目的

メンデルが生きた時代、親の形質が子にどう受け継がれるかについては多くの説があり、混合説などが主流であったが、厳密な実験と統計に基づく説明は存在しなかった。植物の交配実験自体はそれ以前から行われていたが、扱う形質が多すぎたり、記録が不十分であったりして、明確な法則性が導き出されていなかった。そこでメンデルは、形質の数を絞り、長期間にわたり大量のデータを収集することで、遺伝の規則性を数量的に示すことを目標とした。こうした発想には、同時代に物理学や生理学で精密測定を進めたヘルムホルツらの研究動向とも通じる合理主義的な態度が見て取れる。

エンドウマメの実験

メンデルは実験材料としてエンドウマメを選んだ。エンドウは育てやすく、開花から結実までが早いだけでなく、花の構造上、自家受粉しやすいため純系(同じ形質が安定して現れる系統)をつくりやすいという利点があった。彼はまず種子の形や色、さやの形、花の色、茎の長さなど、はっきり区別できる形質を選び、それぞれについて純系を作成したうえで、異なる形質同士を人工授粉によって交配した。

  • 親の形質が異なるエンドウ同士を交配し、第一代(F1)の形質を記録する
  • さらにF1同士を交配し、第二代(F2)に現れる形質の比率を数千個単位で数える
  • 得られた「3:1」などの比率から、形質の背後にある見えない要素の存在を推定する

こうしてメンデルは、形質の現れ方の背後に「優性」と「劣性」の関係があり、それらが一定の規則にしたがって子孫に分配されることを示した。

メンデルの法則

メンデルはエンドウマメの交配実験から、後に「メンデルの法則」と呼ばれる3つの基本原理を導き出した。すなわち、ある形質が他方を覆い隠す優性の法則、対立する要素が配偶子形成の際に分かれて別々に配られる分離の法則、異なる形質どうしは互いに独立して遺伝するという独立の法則である。のちに染色体やDNAの構造が明らかになると、これらの法則は遺伝子と染色体の挙動として説明されるようになった。19世紀のエネルギー保存則を提唱したマイヤーらの物理学と同様に、メンデルは生命現象にも数量的な規則性が存在することを示したのである。

同時代の評価と再発見

メンデルは1865年に研究成果を学会で発表し、翌年には論文として出版したが、その重要性はほとんど理解されず、彼の名は生前ほとんど知られることがなかった。その背景には、論文が数学的な記述を多く含み、生物学者には読みづらかったことや、当時の学界が細胞学や進化論に関心を向けていたことがある。彼の死後しばらくしてから、1900年前後にド・フリース、コレンス、チェルマクらが独自の研究から同様の規則性に到達し、過去の文献を調べる中でメンデルの論文を再発見した。20世紀にはX線を用いた細胞観察などの技術が発達し、レントゲンによるX線の発見など物理学の成果も利用されることで、遺伝子と染色体の関係がより明確になっていった。

現代遺伝学とメンデルの意義

再発見以降、メンデルの法則は「メンデル遺伝学」として体系化され、家畜改良や品種改良、さらに医学の分野でも応用されていった。病気の遺伝、血液型の遺伝、微生物の性質などの研究では、パストゥールコッホの細菌研究と組み合わさり、感染症対策やワクチン開発にも理論的基盤を提供した。20世紀半ばにDNAが遺伝情報の担い手であることが解明されると、メンデルが仮定した「見えない要素」は具体的な分子として理解されるようになる。今日でも、遺伝子検査やゲノム編集といった最先端技術の多くは、エンドウマメを用いた彼の素朴だが厳密な実験にさかのぼることができ、メンデルの遺産は現代科学の根幹に深く刻み込まれている。