マヤ文明
マヤ文明は、メソアメリカに広がった都市国家群が築いた長期にわたる文明である。ユカタン半島からグアテマラ高地、ベリーズ、ホンジュラス西部、エルサルバドルに及び、前古典期から後古典期にかけて独自の文字・暦・天文学・記念碑文化を発展させた。石灰岩台地と熱帯林という環境に適応し、トウモロコシを中心とする農耕を基盤に、複雑な政治と宗教儀礼、精緻な建築と美術を育んだ。
地理と環境
マヤ文明の中心域は、降水の季節性が強い低地と比較的涼しい高地からなり、セノーテに代表される石灰岩地形が水資源を左右した。農法はミルパ(焼畑)や段畑、湿地改良などを組み合わせ、トウモロコシ・カボチャ・インゲン・カカオなどを栽培した。黒曜石や翡翠、海産物などの広域交易は、内陸都市の維持に不可欠であった。
年代区分
- 前古典期(紀元前2000年頃〜紀元後250年):農耕と集落の拡大。巨大中心地エル・ミラドールなどが形成される。
- 古典期(250〜900年頃):ティカル、パレンケ、コパン、カラクムルなど都市国家が栄え、王権と記年碑文が体系化する。
- 後古典期(900〜16世紀):北部ユカタンのチチェン・イツァーやマヤパンが台頭。外来影響の受容と地域再編が進む。
政治構造と社会
マヤ文明は、一元的帝国ではなく、相互に競合・同盟する都市国家のネットワークであった。王(神聖王)を頂点に、貴族層・書記・祭司・戦士・商人・職人・農民が役割を分担した。石碑は王統の正当性を示し、戦争は捕虜獲得や儀礼、交易路の掌握と深く結びついた。
宗教と宇宙観
世界は重層的な天・地・冥界から成り、雨の神チャーク、トウモロコシ神、羽毛の蛇ククルカンなど多彩な神格が儀礼で顕現すると信じられた。ピラミッド神殿や中庭空間は、宇宙秩序の模型として設計され、香炉・供物・舞踏・球戯などが周期暦に合わせて執り行われた。人身供犠もあったが、その実践と意味は時期・地域で異なる。
文字・記録・暦法
マヤ文明の文字は表語・音節を組み合わせる複合系で、王名・儀礼・戦勝・即位日などを記した碑文群が残る。暦は260日のツォルキン、365日のハアブ、両者の組合せであるカレンダー・ラウンド、さらに長期暦による通時的記年で構成された。ゼロの記号化や金星の運行観測は、数学的抽象と天文学的推算の成熟を物語る。
建築・都市計画・芸術
石灰岩ブロックと漆喰を用いたピラミッド、宮殿、球戯場、天文観測に適した建造物が、サクベ(白い道)で結ばれた。装飾はスタッコ彫刻、石彫レリーフ、彩色土器に及び、王の儀礼姿や神話場面が精緻に表現された。音響・視覚効果を織り込んだ広場設計は、政治的儀礼の舞台として機能した。
古典期崩壊と地域変動
9世紀末、南部低地の多くの都市が急速に弱体化・放棄された。要因は単一でなく、長期乾燥化、森林資源の過剰利用、内戦と連鎖的敗北、交易網の偏移、王権正統性の危機など複合的な圧力の重なりと考えられる。一方で北部では都市活動が続き、地域ごとの差が顕著であった。
征服と近世以降
16世紀、スペイン勢力は段階的にマヤ諸地域を制圧し、最後まで抵抗したペテン盆地のイツァも1697年に陥落した。布教・疫病・徴税・再編は大きな変容をもたらしたが、言語・民間信仰・祭礼は変化を受けつつも存続し、現代にも多様なマヤ諸語共同体が息づいている。
史料と研究史
マヤ文明研究は、考古学発掘、碑文学、民族誌、環境史の横断で進展した。ドレスデン・マドリード・パリの各絵文書、王統を刻む石碑群、住居跡・農地遺構・花粉分析は、政治史から生業・気候変動までを照射する。20世紀後半の文字解読の飛躍は、王名と出来事の読解を可能にし、各都市の年代学を精密化した。
代表的遺跡・用語
- ティカル:巨大ピラミッドと石碑群で知られる古典期の中心都市。
- パレンケ:優美な宮殿建築と王墓を擁する。
- コパン:書記文化と石彫の精緻さで著名。
- カラクムル:強大な王朝が周辺都市に影響力を及ぼした。
- チチェン・イツァー:後古典期に繁栄し、球戯場や天文的意匠で知られる。
- ウシュマル:プウク様式の装飾が発達。
- エル・ミラドール:前古典期の巨大中心地。
- サクベ:都市間を結ぶ白い道路。