マテオ=リッチ
マテオ=リッチは、16世紀末から17世紀初頭にかけて明代中国で活動したイタリア出身のイエズス会士である。漢名は利瑪竇、英名は Matteo Ricci。1582年にマカオから中国本土へ入り、士大夫層の学問と礼に合わせる「適応」戦略を徹底しつつ、天文学・数学・地理学・記憶術などの西学をもって知識人の信頼を得た。皇帝の許可を得て1601年に北京に入り、教理書『天主実義』や世界地図『坤輿万国全図』を著し、徐光啓らとともに『幾何原本』を訳出したことで、東西知の架橋者として位置づけられる。
生涯と入華の経緯
マテオ=リッチ(1552–1610)はローマで神学と数学を修め、ポルトガル領マカオで準備を整えたのち、肇慶・南京・南昌などで布教した。長髪と儒服をまとい文人の礼を重んじる方針を打ち出し、交友を通じて知のネットワークを形成した。1601年、宮廷への入京が許され、以後は学術・儀礼・技術の提供を通じて信頼を固めた。
宣教戦略と学術交流
彼の戦略は、儒学の徳と礼に寄り添いながらキリスト教を「天主」概念で説明する点に特色がある。典籍・礼制への敬意を示しつつ、天文学・幾何学・機械学の有用性を提示して士大夫の関心を掴んだ。この姿勢は後続のキリスト教宣教師の基本路線となり、学術協働の場を拡張した。
宮廷と地図制作
マテオ=リッチは地球儀や自鳴鐘などの技術品を通じて宮廷の注目を集め、1602年に『坤輿万国全図』を刊行した。これは中国語で世界を記す画期的地図で、東西の地名・測地知を統合し、知識人に世界像の刷新を促した。世界理解の更新は、東アジアの国際観や文人旅行記にも波及した。
著作と翻訳の要点
- 『天主実義』:儒家の天・理・性に即して唯一神を説く教理書。
- 『幾何原本』:徐光啓と協力し Euclid を訳出、演繹的証明の方法を紹介。
- 記憶術書・対話集:学徳と実学を橋渡しする教化ツールとして機能。
明代知の文脈
彼の活動は、実学志向の高まりと共振した。自然誌の集大成である本草綱目(著者李時珍)や、工芸技術を体系化した天工開物(著者宋応星)と同時代的に、知の総合化・実用化が進行していた。これらの潮流と西学導入が合わさり、明末の学術景観は多元化した。
儒学との接点
陽明学の道徳実践や知行合一の発想は、良知を重んじる宗教的実践と相互照応する側面を持つ。マテオ=リッチは儒教倫理を肯定的に評価しつつ、超越的な天主の観念を提示して哲学対話を深めた。
科学協働と後続成果
彼の知的共同作業は、徐光啓・李之藻らを介して暦算改革へ受け継がれ、のちに編纂される崇禎暦書の基盤となった。宮廷暦法における観測・計算・器械の改良は、東西の技術統合の象徴である。
日本・アジアへの波及
アジア布教史の文脈では、先行するフランシスコ=ザビエルの活動と併せて理解される。東アジアの学者・宣教師間の往還は、地図・天文・語学・印刷など多方面に影響し、地域的知の再編を促した。
名称と表記
本項では「利瑪竇」「Matteo Ricci」「マテオ=リッチ」を同指標として扱う。明末知識人との協働、教理書と理数書の翻訳、世界地図の普及という三点が、彼の歴史的意義を構成する。