マジャパヒト王国|香料貿易と海軍力で覇権確立

マジャパヒト王国

マジャパヒト王国は、13世紀末にジャワ島東部で成立し、14世紀半ばに海域東南アジア一帯へ覇権を及ぼしたヒンドゥー・仏教系の王国である。前身シンガサリ朝の崩壊後、ラデン・ウィジャヤが1293年に元(モンゴル帝国)軍を利用・撃退して即位し、都をブランタス川流域のトロウラン(Trowulan)に置いた。宰相ガジャ・マダは「パラパ宣誓」を掲げ、ヌサンタラ(群島世界)の統合を目指し、ハヤム・ウルク王(在位1350–1389)の下で最盛期を迎えた。だが15世紀以降、内乱や港市の離反、イスラーム勢力の台頭に直面し、16世紀初頭にはジャワ北岸の新興勢力デマクに主導権を奪われて終焉へ向かった。

成立と環境

建国者ラデン・ウィジャヤは、シンガサリ朝滅亡後の混乱を突いて1293年に即位した。彼は元軍を一時的に同盟者として受け入れたのち追い払うことで、国内の正統性と軍事的威信を確立した。首都トロウランは煉瓦建築と灌漑の発達で知られ、ブランタス川の水運とジャワ内陸の稲作生産を背景に王権の基盤を築いた。都周辺には門塔バジャング・ラトゥや水槽遺構チャンディ・ティクスなどの考古遺跡が分布し、王権の儀礼空間と水利管理の高度さを物語る。

政治体制と支配構造

王権は王家・貴族・官僚層から成る階層秩序と、在地首長との婚姻・盟約によるネットワークに支えられた。中核領域の直轄支配に対し、外縁の港市や島嶼には間接統治や朝貢・保護関係を適用し、柔軟な「マンダラ」型の支配圏を形成した。官制は複数の高官が儀礼・財政・軍事・港市監督を分掌し、王名に連なる称号制度と勅令碑文が統治の正統性を補強した。

最盛期と対外展開

宰相ガジャ・マダは「パラパ宣誓」により、バリ・マルク・スマトラ・マレー半島沿岸などの港市勢力を次々と服属させた。ハヤム・ウルクの治世には海軍遠征と外交を併用し、香辛料動脈を押さえることで群島世界の覇権を確立した。ただし支配は一様な直轄ではなく、朝貢や盟約・婚姻関係の重層的な糸で編まれた覇権秩序であり、地域ごとの自律性は相当に保たれていた。

経済と交易ネットワーク

稲作を核とする内陸生産と、北岸港市(トバン、グレシク、スラバヤなど)を経由する海上交易が相互補完した。胡椒・丁子・ナツメグなど香辛料、伽羅・砂糖・米・染料に加え、中国陶磁や布帛が流入・再輸出され、海域東南アジアの中継・分配機能を担った。課税は市場税・港税・通行課徴などの形で実施され、貨幣として中国銭(ケペン)が広範に流通したとされる。

宗教と文化

宗教はシヴァ神を中心とするヒンドゥー教と大乗仏教の習合(シワ・ブッダ)が特徴で、王権は神格化された祖霊崇拝と結びついた。文学ではカカウィンと呼ばれるジャワ古典詩が栄え、プラパンチャの『ナガラクルターガマ』(1365)は王国の地理と儀礼・行政・朝貢圏を詳細に記した名高い叙述である。影絵芝居ワヤンやサカ暦に基づく祭儀も、宮廷儀礼と民間文化を橋渡しした。

内乱と衰退

14世紀末から王位継承は複雑化し、1401–1406年頃のパレグレグ内乱で中枢が疲弊した。地域港市は自立化を強め、イスラーム商人ネットワークと結ぶことで独自の利益を追求する。15世紀にはマラッカの台頭によりマレー海峡の交易重心が移動し、ジャワ北岸でもイスラーム港市が伸長した。1478年の王統交代伝承や、16世紀初頭のデマクによる旧都圏制圧は、王国の終焉を象徴する出来事である。

史料と考古学的知見

王国内碑文(シャイレーンドラ以来の伝統を継ぐ古ジャワ語・サンスクリット語)、年代記『パララトン』、そして『ナガラクルターガマ』が主要史料で、中国元・明の外夷伝や朝貢記録も対照に資する。トロウラン遺跡群の門塔・寺院・水利遺構は、王都の儀礼空間と生産基盤を可視化し、文字史料と相互補完的に王権像を再構成させる。

年表(主要トピック)

  • 1293年:ラデン・ウィジャヤ即位、建国
  • 1350–1389年:ハヤム・ウルク治世、覇権拡大
  • 14世紀後半:ガジャ・マダの政策終盤と覇権の調整期
  • 1401–1406年頃:パレグレグ内乱
  • 15世紀:港市の自立化、イスラーム勢力伸長
  • 1478年:王統交代の伝承年(セデス)
  • 16世紀初頭:デマクが旧都圏を制圧、終焉

補注:用語と範域

「ヌサンタラ」は群島世界を指す概念で、王国の支配は直轄・従属・盟約など多層であった。従って「統一」の実態は時期・地域により差異があり、朝貢・関係維持・航路掌握の度合いを精査して理解する必要がある。覇権は交易秩序の管理能力に支えられ、港市間の相互依存と競合こそが政治空間をかたちづくったのである。

歴史的意義

マジャパヒト王国は、ジャワ内陸生産と外洋交易を結びつけ、海域東南アジアに「王都—港市—航路」の三位一体構造を実装した点に意義がある。後世のジャワ王権や港市イスラーム政権は、その行政技術・祭祀秩序・交易制御の知を継承・変容させた。群島世界の政治史を通観するうえで、本王国は地域統合の理想と限界をともに示す規範的ケースである。