ボンベイ
ボンベイは、インド西岸マハーラーシュトラ州に位置する港湾都市で、現在の都市名は「ムンバイ」である。アラビア海に面した天然の良港をもち、近世以降、貿易と金融の中心として発展し、近代にはインド最大級の商業都市となった。ボンベイは、ヨーロッパ勢力の進出、イギリスのインド支配、近代インドの都市化や民族運動など、多くの歴史的局面で重要な舞台となった都市である。
地理的環境と都市構造
ボンベイは、もともと小さな島々からなる地域で、埋め立てによって本土と結びつけられた結果、現在のムンバイ市街地が形成された。天然の入り江は外洋からの風波を避けられる安全な停泊地であり、アラビア海とインド洋の海上交通を結ぶ拠点となった。この地理的条件が、ヨーロッパの海洋勢力が港湾基地を求めて進出する大きな理由となった。
名称の由来と歴史的背景
ボンベイの名称は、16世紀にこの地を支配したポルトガル人が「良い湾」を意味する「Bom Bahia」と呼んだことに由来するとされる。その後、この名称が英語化されて「Bombay」となり、日本語では「ボンベイ」と表記された。独立後のナショナリズムの高まりを背景に、1990年代にヒンドゥー教女神ムンバーイーに由来する「ムンバイ」という名称が公称となり、植民地期の名残である「ボンベイ」は歴史用語として用いられることが多くなった。
ポルトガル支配からイギリス支配へ
16世紀、この地域はポルトガルの勢力圏に組み込まれ、インド洋交易網の一部として利用された。その後、17世紀にポルトガル王女とイギリス王チャールズ2世の王室婚姻の持参金としてボンベイがイギリス王室に譲渡されたことで、支配権が移る。イギリス王室はこの地を商業的に活用するため、商業会社にあたるイギリス東インド会社へ貸与し、以後ボンベイは同社の拠点として急速に整備されていく。
イギリス東インド会社と港湾都市の成長
イギリス東インド会社は、ボンベイを西インド洋交易の中心拠点と位置づけ、港湾施設や防衛拠点、行政機構を整備した。綿花や綿布、香辛料、後にはアヘンなどの輸出入を通じて、港には商船が集まり、多様な商人や労働者が居住する国際色豊かな都市社会が形成された。こうしてボンベイは、インド西岸におけるイギリスの代表的な植民地都市として成長していった。
インド経済の中心としての役割
ボンベイは、19世紀には綿工業と金融業の発展により、インド経済を牽引する都市となった。綿花産地と港湾を結ぶ鉄道の敷設によって原料供給が安定し、紡績工場が立ち並ぶ産業都市へと変貌する。また、銀行や保険会社、取引所が集中し、近代的な金融システムが整えられたことで、国内外の資本が流入し、商業資本家や実業家が台頭した。こうした動きは、近代インドにおける都市ブルジョワ階層の形成とも結びつく。
民族運動とボンベイ
ボンベイは、近代インドの政治史においても重要な役割を果たした。19世紀末にはインド国民会議の大会が開かれ、植民地支配への批判や自治要求が議論された。20世紀に入ると、ストライキやボイコット運動など都市労働者を巻き込んだ民族運動が高まり、港湾・工場・鉄道などで抗議行動が展開された。これらの運動は、インド独立運動の大きな流れの中で、都市住民の政治参加を促す契機となった。
ムンバイへの改称と現代都市
独立後もボンベイの名は公式名称として用いられたが、地域の言語や信仰を重視する動きが強まり、1990年代に公式名称がムンバイへ改められた。今日のムンバイは、映画産業やIT関連産業、金融業が集積する巨大都市として、国内外から多くの人々を引きつけている。歴史的にはボンベイと呼ばれたこの都市は、ヨーロッパ勢力の進出と大航海時代、植民地支配、独立と近代化という長い歴史の歩みを体現する象徴的な存在であり続けている。