ピピンの寄進
ピピンの寄進は、8世紀半ばにフランク王ピピン(Pippin the Short)が教皇ステファヌス2世(Stephen II)へイタリア中部の世俗支配権を引き渡した出来事である。対象はラヴェンナ総督領(Exarchate of Ravenna)とペンタポリス(Pentapolis)などで、これによりローマ教皇は領邦君主としての地位を獲得し、のちに「ローマ教皇領」の中核が形成された。背景にはビザンツの権威低下とランゴバルド王国(Lombards)の伸長、そしてローマの防衛をめぐる教皇の切迫した安全保障上の要請があった。ピピンは軍事遠征で王国の軍事力を行使し、奪還地を皇帝ではなく教皇へ渡すという画期的な措置をとった。これは宗教的権威とフランク王権の結合を推し進める政治契約であり、以後の西欧秩序を大きく規定した出来事である。
歴史的背景
7世紀末から8世紀にかけてイタリアでは、ビザンツの支配機構であったラヴェンナ総督領が弱体化し、ランゴバルド王国が勢力を拡大した。教皇座を擁するローマも圧迫を受け、ビザンツ皇帝は宗教政策や軍事的支援の面で十分に呼応できなくなっていた。そこで教皇ステファヌス2世はアルプスを越えてフランクの宮宰出身の王ピピンを頼り、ローマの防衛と教会の独立的地位の確保を図ったのである。
教皇とフランクの同盟
753〜754年、ステファヌス2世は危険を冒してガリアへ赴き、サン=ドニでピピンとその子らに塗油を施した。これによりフランク王権は宗教的正統性を強化し、ピピンは「ローマ人のパトリキウス(Patricius Romanorum)」としてローマの保護者となる政治的称号を得た。両者はローマと教会財産の保全、ならびにランゴバルド王国への対処について合意し、軍事支援と領土割譲の約束が取り交わされた。
軍事行動と講和の経過
754年、ピピンは最初の遠征でランゴバルド王アイストゥルフ(Aistulf)にローマ包囲の停止と領土返還を約させたが、約定は反故にされた。756年、ピピンは再度遠征し、圧力の下でアイストゥルフに降伏と割譲を承認させた。重要なのは、割譲地がビザンツ皇帝ではなく教皇へ直接引き渡された点であり、ここに世俗権を帯びた教皇領の基盤が成立したことである。
寄進の範囲と具体的領域
- ラヴェンナ総督領(Ravenna を中心とする旧ビザンツ支配圏)
- ペンタポリス(リミニ、ペーザロ、ファーノ、セニガッリア、アンコーナ)
- ローマ公領周辺の要地と道路・港湾・税収権の移管
- トスカナ方面の若干の地帯(後世の史料間で範囲に異同がある)
割譲は象徴的儀礼(聖ペトロの墓前での鍵の奉献という伝承を含む)と実務的移管が組み合わさって行われ、都市群・街道・関税や公課の徴収権といった複合的権利が教皇へ渡ったと理解される。
法的性格と文書の問題
754年のキエルジ(Quierzy)での約束文書(promissio)と、756年の実施に関わる確認文書が想定されるが、原本は伝わらず、内容は『教皇伝(Liber Pontificalis)』や「カロリン書簡集(Codex Carolinus)」などの伝聞的・編集的史料に依拠する。後世に流布した偽文書「コンスタンティヌスの寄進状」とは別個の出来事であり、ピピンの寄進は軍事的成果と政治合意に根ざす現実的割譲として区別されるべきである。
意義―教皇領の成立と西欧秩序
ピピンの寄進は、教皇に世俗主権を与えた点で画期的である。これによりローマ教皇は都市国家的な領域支配を手中に収め、聖職者でありながら領邦君主という二重の性格を帯びた。フランク王権はローマの守護者として宗教的正統性を強化し、のちのカロリング帝国の外的正当化を準備した。さらに、ビザンツの名目的宗主権を迂回して割譲を実施したことは、西方世界の自立化と「ローマの継承」の再編成を象徴した。
後代への影響
774年、カール大帝(Charlemagne)はランゴバルド王国を併合し、教皇領の権利を再確認した。以後も境界線は軍事・外交情勢に応じて変動したが、教皇の領邦支配は中世イタリア政治の定数となった。皇帝権と教皇権の均衡、叙任権闘争、都市国家の自立運動など多面的な問題群の根底に、ピピンの寄進がもたらした「教皇の世俗化」という長期的命題が横たわったのである。
年表(概略)
- 751年:ピピン、フランク王に即位
- 753〜754年:教皇ステファヌス2世がアルプスを越え、サン=ドニで塗油と同盟
- 754年:第1次遠征で一時講和
- 756年:第2次遠征で割譲実施、教皇への直接移管
- 774年:カール大帝が再確認、教皇領の枠組みが強化
用語メモ
- “Donation of Pepin”=ピピンの寄進
- “Exarchate of Ravenna”=ラヴェンナ総督領
- “Pentapolis”=ペンタポリス
- “Lombards”=ランゴバルド人
- “Patricius Romanorum”=ローマ人のパトリキウス