ナーディル=シャー
ナーディル=シャーは、18世紀前半にイラン世界を統一し、インドのデリー遠征など大規模な征服活動を行った征服者である。アフシャール族出身の軍人から頭角を現し、アフガン勢力やオスマン帝国、ロシア帝国との戦争を通じて一時的にイランの勢力を中東・中央アジア・インドにまで拡大させたが、その支配は苛烈で短命に終わり、死後には速やかな分裂を招いたことで知られる。
出自と幼年期
ナーディル=シャーはおおよそ1688年ごろ、ホラーサーン地方でトルコ系遊牧民アフシャール族の家に生まれたとされる。幼少期に父を失い、家族は貧困に陥り、奴隷身分に落ちたとも伝えられるが、その後脱出してならず者的な山賊集団や地方軍閥のもとで武力を磨き、騎兵指揮官として急速に頭角を現した。こうした出自は、後のたたき上げの軍事的カリスマというイメージを強める要素となった。
サファヴィー朝危機と台頭
18世紀初頭、イランを支配していたサファヴィー朝は、内政の腐敗と軍事力の低下、そしてアフガン勢力の侵入によって急速に弱体化した。1722年にはアフガン軍がイスファハーンを占領し、サファヴィー朝の実権は失われた。この混乱のなかで、サファヴィー王族のタフマースプ2世が挙兵すると、ナーディル=シャーは彼に合流し、アフガン勢力をホラーサーンやイラン中央部から駆逐する軍功を立てた。彼は精強な騎兵と火器部隊を組織し、短期間に軍事的名声を高めていった。
サファヴィー朝からアフシャール朝へ
ナーディル=シャーはアフガン勢力を撃退したのち、オスマン帝国やロシア帝国に奪われていたコーカサスやカスピ海沿岸の領土奪回にも成功し、事実上イランの最高指導者となった。しかし、サファヴィー王家の権威はもはや彼にとって障害となり、1736年、ムガーン平原の大集会においてタフマースプ2世の廃位を宣言し、自らがシャーとして戴冠した。こうしてサファヴィー朝は終焉し、アフシャール族出身のナーディル=シャーを開祖とするアフシャール朝が成立した。
軍事改革と戦術の特色
ナーディル=シャーの強みは、騎兵中心でありながら火器と砲兵を巧みに組み合わせた軍制にあった。彼は部族騎兵を再編成し、マスケット銃や軽砲を前線で機動的に運用させることで、オスマン帝国軍やアフガン軍を各地で撃破した。また、戦場での迅速な機動と奇襲を多用し、補給線の維持にも細心の注意を払ったとされる。その軍事力は、同時代のイラン世界において突出しており、「イラン最後の大征服者」と称されるゆえんである。
インド遠征とデリー略奪
1738年から39年にかけて、ナーディル=シャーはムガル帝国の支配下にあったインド北部へ遠征した。当時のムガル帝国は内紛と地方勢力の自立により衰退しており、カールナルの戦いでムガル軍を破ると、彼は首都デリーに入城した。その後、デリー市内での混乱を機に苛烈な略奪を敢行し、莫大な財宝や象徴的な「孔雀の玉座」、名高い宝石コ・イ・ヌールなどをイランへ持ち帰った。この戦利品はイラン財政を一時的に潤したが、ムガル帝国の威信は決定的に失墜し、インドにおける政治的空白を生み出す要因となった。
対オスマン・ロシア政策と外征
ナーディル=シャーは、イラン伝統の宿敵であるオスマン帝国との戦争を幾度も行い、カフカスやメソポタミアをめぐる領土争いで優勢に立とうとした。また、カスピ海沿岸ではロシア帝国と対峙しつつ、外交と軍事を使い分けて勢力均衡を図った。彼の遠征は兵力と財政を消耗させた一方、イランを地域大国として再び国際政治の舞台に押し戻した点で重要である。
内政、宗教政策、重税
内政面では、ナーディル=シャーは軍事遠征を支えるために重税を課し、各地の反乱を苛烈に鎮圧した。また、イランがシーア派国家として固まっていた状況を緩和しようとし、シーア派とスンナ派の折衷的な宗教政策を模索したともいわれる。しかし、宗教的調停は成功せず、重税と専制的統治はむしろ民衆と部族勢力の不満を高める結果となった。
晩年の暴君化と暗殺
度重なる戦争と陰謀のなかで、ナーディル=シャーは次第に猜疑心を強め、家臣や王族へ厳罰を加えるようになった。彼は実子を失明させたとも伝えられ、その暴君的な振る舞いは支持基盤を大きく損なった。1747年、ホラーサーン遠征中の陣営において、近衛将校らによって暗殺され、その短いが激烈な治世は終わりを告げた。
死後の分裂と歴史的意義
ナーディル=シャーの死後、アフシャール朝は急速に弱体化し、イラン内部ではザンド朝など諸勢力が台頭した。また、アフガニスタン方面では彼の部下であったアフマド=シャーが独立し、ドゥッラーニー朝を樹立するなど、彼の大帝国は地域ごとに分裂していった。それでもなお、彼の征服はイラン、中央アジア、インド、オスマン圏の力関係を大きく変化させた点で重要であり、近世末期におけるユーラシア世界の再編過程を理解するうえで欠かせない人物と評価されている。