ナショナリズム
ナショナリズムは、「国民(ネーション)」を政治的・文化的共同体の単位とみなし、その統一・独立・発展を最も重要な価値とする思想・運動である。近代ヨーロッパにおいては、絶対王政や諸侯の支配をこえ、同じ言語・歴史・文化を共有する人々が主権の担い手であるという発想が広まり、ナショナリズムは国民国家形成の原動力となった。とくにフランス革命とその後のナポレオン戦争は、人々に「フランス人」「ドイツ人」といった国民意識を自覚させ、愛国心と結びついたナショナリズムを全ヨーロッパへ拡散させた。
概念と定義
ナショナリズムを理解するには、「ネーション(国民)」という概念が重要である。ネーションは血縁や地縁だけでなく、歴史記憶や言語、宗教、象徴(国旗・国歌)といった要素によって想像される共同体であるとされる。近代の政治思想では、主権は王ではなく国民に属すると考えられ、その主権の担い手を統一する原理がナショナリズムであると説明されることが多い。
エスニック・ナショナリズムとシビック・ナショナリズム
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エスニック(民族的)なナショナリズムは、血統・宗教・言語など共通の出自を重んじ、民族共同体としての純粋性や伝統を強調する傾向がある。
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シビック(市民的)なナショナリズムは、憲法・法の支配・市民権といった政治的原理への参加を基礎とし、異なる出自の人々を同じ市民として包摂しようとする。
歴史的背景
前近代ヨーロッパでは、人々の忠誠は主に王、領主、あるいは宗教共同体に向けられており、今日いう意味での国民意識は限定的であった。18世紀末のフランス革命は、「国民主権」や「市民」という理念を掲げることで、人民が自らをひとつの国民として意識する契機となった。その後、ナポレオン軍の征服と支配に対する抵抗の中で、各地で防衛的ナショナリズムが生まれ、これに対処するために開かれたウィーン会議と、戦後秩序を維持する神聖同盟の体制は、皮肉にも各地の国民運動を刺激する結果となった。
国民国家の形成とナショナリズム
19世紀前半から中葉にかけて、ヨーロッパ各地でナショナリズムは国民国家形成の推進力として働いた。たとえば、多数の邦から成るドイツ連邦では、共通の言語と文化に基づき統一を求める動きが高まり、最終的にドイツ帝国が成立した。また、ネーデルラント地域では、宗教や経済構造の違いなどから対立が深まり、分離独立を果たしたベルギーと、立憲君主制を整えたオランダ立憲王国が誕生した。これらはいずれも、住民が自らの国民としてのアイデンティティを主張し、それに基づいて政治的枠組みを作り替えた例であり、ナショナリズムが歴史を動かした典型である。
19世紀ヨーロッパのナショナリズムと自由主義
19世紀ヨーロッパでは、立憲政治や市民的自由を求める自由主義とナショナリズムがしばしば結びついた。とくに1848年の諸革命では、民族の自己決定と憲法制定が同時に要求され、国民議会の招集や人権の保障が求められた。一方、イギリスでは、強大な海軍力と産業力を背景に世界秩序を主導する立場から、自国の覇権維持と結びついたナショナリズムが展開され、19世紀後半のパックス=ブリタニカの一要素となった。
帝国主義と排外的ナショナリズム
19世紀末から20世紀前半にかけて、列強が植民地支配を拡大する時期になると、ナショナリズムはしばしば人種主義や排外主義と結合した。他国を劣った存在と見なし、自国の優越性を誇示する過激なナショナリズムは、対外侵略や同化政策を正当化するイデオロギーとして機能し、世界大戦の背景の一部ともなった。こうした排他的傾向は、国民の結束を高める一方で、異質な他者との共存を困難にし、国際秩序を不安定化させる要因ともなった。
現代におけるナショナリズムの多様な姿
20世紀後半には、アジアやアフリカで植民地支配からの解放をめざす独立運動が広がり、反帝国主義的ナショナリズムが展開された。また、ヨーロッパでは、武装中立を掲げる永世中立や、スイスのように独自の国民意識と政治体制を維持し続ける例も見られる。グローバル化と地域統合が進む今日においても、移民問題や地域格差を背景に、統合を求める穏健なナショナリズムから、排外的なポピュリズムまで、多様な形態が並存している。
思想的評価と課題
ナショナリズムは、一方で人々に共同体への帰属意識と連帯感を与え、民主的な政治参加を促す原理として評価されてきた。他方で、国民を絶対視し他者を敵視する傾向は、戦争や迫害を引き起こす危険なイデオロギーとして批判される。哲学者ニーチェやサルトルらは、大衆が国家や民族の名のもとに自己を喪失する危険を指摘し、個人の自由と責任の重要性を強調した。現代の政治思想においては、普遍的な人権や国際協調と、各国民が自らの文化と政治的自律を守ろうとするナショナリズムをいかに調和させるかが大きな課題となっている。