テオティワカン文明
テオティワカン文明は、メキシコ中央高原のメキシコ盆地に1~7世紀頃に栄えたメソアメリカ最大級の都市文明である。都市は幾何学的な格子状の計画に基づき、南北軸の「死者の大通り(Avenue of the Dead)」に沿って「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「ケツァルコアトル(羽毛の蛇)神殿」が配される。集合住宅区(アパルカメント)に数万人規模が居住し、多民族・多言語の共同体を形成した。オブシディアン(黒曜石)の加工や広域交易、鮮やかな壁画、タルー・タブレロ式の建築が特徴で、宗教儀礼と権威は巨大建造物に体現された。6世紀中葉以降、火災痕や社会不安の拡大と共に衰退し、その記憶はトルテカやアステカに継承された。都市の実名や文字体系は限定的にしか判明せず、考古学的資料に依拠して復元が進む。
位置と都市計画
テオティワカンは標高2,000m超の高原に位置し、湧水や運河、貯水施設により乾燥帯でも人口を支持できた。都市は約20度傾いた方位で整列し、主要軸に神殿・広場・官殿群を結節させることで、宗教儀礼と都市機能を統合した。区画は壁で囲われ、居住・生産・儀礼の空間が一体化している。
宗教と神殿
信仰は雨・水・トウモロコシの循環や天体運行と密接に結びついた。羽毛の蛇(ケツァルコアトル)や嵐・雨の神格がしばしば表象され、神殿に施された彩色浮彫や壁画が宇宙論と王権の正統性を示した。神殿周辺からは供儀坑や埋葬、貝・翡翠・黒曜石などの供物が見つかる。
タルー・タブレロ
テオティワカン建築を象徴するのがタルー・タブレロである。傾斜壁(タルー)と垂直枠(タブレロ)を交互に積層し、広い基壇を段状に発達させる方式で、視覚的リズムと構造的安定を両立させた。
壁画芸術
居住複合体の壁画は赤・黄・緑を基調に神鳥や水流、儀礼行列を描き、共同体アイデンティティと規範を共有化した。図像は象徴性が高く、限定的な記号群と合わせて宗教的メッセージを伝達した。
政治と社会構造
王名の継承や肖像表現が乏しいため、集団主義的な統治が議論される。だが巨大建造物の指揮や供儀の組織性から、強力な中枢機構の存在は疑いない。都市内には職能・出自ごとの居住区があり、オアハカ系、マヤ系など外来要素の集住も確認される。
経済と生業
生業は灌漑耕作と周辺農村からの供給に依存し、黒曜石の採掘・加工が都市の中核産業であった。工房では刃器・鏃・装飾品が大量生産され、広域に流通した。塩・カカオ・貝・翡翠・羽毛など、地域特産品との交換が都市繁栄を支えた。
- 黒曜石:刃器・儀礼具の製造
- 農作物:トウモロコシ、インゲン、カボチャ、アマランサス
- 贅沢品:翡翠、トルコ石、海産貝、鮮やかな羽毛
交易ネットワーク
テオティワカンの影響はメソアメリカ全域に及ぶ。グアテマラ高地やユカタン半島の都市からはテオティワカン式土器・黒曜石・軍事的象徴が出土し、外交・通婚・移住・代理居留地など多様な接触形態が想定される。これにより宗教儀礼や建築技法が共有・変容した。
対外関係とマヤ世界
クラシック期初頭のマヤ都市には、テオティワカン系の武装図像や支配交代の痕跡が見られる。交易の安定化と資源確保、儀礼の権威付けが目的と考えられ、遠隔地との政治・経済・宗教の相互作用は、メソアメリカ文明圏の統合度を高めた。
居住空間と生活
集合住宅は中庭を中心に住居・祭壇・工房が配置され、石・日干し煉瓦・漆喰で築かれた。上下水の排水路や通風が工夫され、共同体の儀礼・宴会・生産が循環する。装飾や埋葬は家の祖霊祭祀と身分表示の機能を担った。
崩壊と変容
6世紀半ば以降、政治中枢や宗教施設に火災痕が集中し、内部抗争・階層間緊張・気候変動による生産低下が複合して都市は急速に縮小した。核心部の儀礼権威が瓦解すると周辺ネットワークも解体し、地域は多中心化へ向かった。
後代への影響
テオティワカンの建築語彙、宗教象徴、都市計画はトルテカやアステカに再解釈され、首都テノチティトランの神殿や国家儀礼に遺産が取り込まれた。アステカはこの遺跡を「神々が人間を創造した場所」とみなし、巡礼地として崇敬した。
考古学的研究
近代以降の測量・発掘・修復に加え、近年はLIDAR、地中レーダー、同位体分析、微視的摩耗痕研究が導入され、居住者の移動履歴・食性・工業生産の工程が具体化した。文字資料の欠如を補い、都市機能と社会構造の復元精度が高まっている。
- 空間分析:格子状街路と儀礼軸の相関
- 資源研究:黒曜石の原産地同定
- 社会考古学:居住区の出自と職能の可視化
用語と特徴の整理
テオティワカン理解の要点は、計画都市・巨大宗教建築・集合住宅・黒曜石工業・広域交易・多民族社会・象徴芸術・タルー・タブレロという結節要素の組合せにある。これらが相互補強的に働き、古代アメリカ最大級の都市文明を成立させたのである。