シャイレーンドラ朝|ボロブドゥール築いた仏教海上王権

シャイレーンドラ朝

シャイレーンドラ朝は、ジャワ島中部(ケドゥ盆地)を中心に8〜9世紀に栄えた仏教系の王統である。大乗仏教(しばしば金剛乗要素を伴う)の保護者として寺院・僧院を造営し、とりわけ世界的遺産ボロブドゥールの建立で知られる。王統は同時期のマタラム王国と重なり合い、サンジャヤ系との共存・競合や、スマトラのシュリーヴィジャヤとの姻戚・外交を通じ、インド洋と南シナ海を結ぶ海上ネットワークに深く関与した。

起源と系譜

シャイレーンドラ朝の起源は諸説が併存する。古ジャワ語・サンスクリット語碑文に見える「シャイレーンドラ(Śailendra=山の王)」の称号をもつ一族が、中部ジャワで宗教施設の造営と土地寄進を主導したとみられる。王統はサンジャヤ系(ヒンドゥー)と姻戚関係を結びつつ、政治宗教的主導権をめぐって交錯した。9世紀半ばには一部の王族がスマトラ側へ移動し、のちのシュリーヴィジャヤ権力と接続したと伝えられる。

主要碑文と年次(抄)

  • カラサン碑文(778):尊格ターラーに捧げる寺院造営と寄進を記す。
  • ケルラク碑文(782):仏教寺院造営と「シャイレーンドラ王統」への言及。
  • カランテンガ碑文(824):仏教施設への寄進と王権の儀礼秩序。
  • ナーランダー銘(9世紀):パーラ朝のもとで、ジャワ系王族とシュリーヴィジャヤの縁組を示唆。

政治構造と支配領域

支配の核心はケドゥ盆地と推定され、灌漑や堤の維持、僧院の維持管理を担う「シマ(免租地)」の設定が多用された。王は宗教的権威を背景に、村落共同体・職能集団・僧団を結びつける調停者として振る舞い、寄進と免税、儀礼と法令の発布によって統治の正統性を可視化した。対外的には交易拠点と内陸稲作地帯をつなぎ、山地資源・火山土壌の生産力を宗教文化事業に再配分した。

宗教文化と建築

シャイレーンドラ朝は大乗仏教の後援者として、ボロブドゥール、ムンドゥッ、パウォンなどの寺院群を整備した。ボロブドゥールは基壇から上層へ至る三界の象徴的上昇を表現し、浮彫群は『本生譚』や菩薩行の視覚教理として機能する。円塔状ストゥーパの配列は曼荼羅的宇宙観を体現し、参詣・繞行(プラダクシナ)による宗教実践を前提とする。石材加工・運搬・彫刻・文様設計の各工程には高い技術体系が動員され、王権の徳と福徳の蓄積を示した。

海上交易とネットワーク

同時代の東南アジアは、マラッカ海峡とジャワ海を介して香料・樟脳・沈香・錫・綿布・陶磁などが循環する「二大海域システム」を形成した。シャイレーンドラ朝は内陸稲作と外洋交易の結節点に位置し、シュリーヴィジャヤの航路支配、インド東岸やベンガル湾の商人、唐代の使節・商人、アラブ・ペルシア系の船乗りと接触した。交易利得は寺院造営と土地寄進に再投資され、宗教と経済が相互に強化される循環を生んだ。

対外関係と文献記録

パーラ朝の銘文は、ジャワ王族とベンガルの仏教世界との交流を伝える。留学・経典奉納・僧院支援を通じて、密教的儀礼・図像・サンスクリット学術が移入され、ジャワ側では古ジャワ語との二言語空間が形成された。中国側の記録は、島嶼東南アジアの仏教王国と航路の繁忙を示唆し、アラブ資料は「ジャワ」産品と海難・季節風の知見を伝える。これら断片的史料の突合により、王権の国際的位相が再構成されている。

サンジャヤ系との関係と衰退

9世紀前半、仏教系の王サマラトゥングガは大規模造営を推進し、王女プラモーダワルダニーはサンジャヤ系のピカタンと結婚した。両系統の協調はやがて政治的主導権競合へ転じ、9世紀半ばにサンジャヤ系が台頭すると、仏教系勢力の一部はスマトラ方面へ退いたとみられる。のちにバラプトラ(バラプトラデワ)と結びつく伝承は、シャイレーンドラ朝とシュリーヴィジャヤの人脈融合を物語る。

社会経済と地方秩序

王権はシマ付与によって寺院・僧院の維持財源を確保し、村落の耕地・水利・林野・労役義務を規定した。度量衡・課税・刑罰条項は碑文に明記され、違反者への制裁を神仏の誓約で担保する儀礼法秩序が整えられた。工人集団や商人は寄進と引換えに特権を獲得し、宗教祝祭は市(いち)と芸能を呼び込み、聖地と市場が重なり合う空間が形成された。

考古・美術の特徴

浮彫は物語連環の叙述性と装飾性を兼ね、蓮華・宝珠・金剛杵などの法具表現は密教儀礼の受容を示す。塑像・石像の様式は、なだらかな量感と整った比例、柔らかな衣文線を特徴とし、印(ムドラー)や持物の体系化が進む。屋外建築は安山岩の精緻な切石積を用い、排水溝や階段配置など機能設計も周到である。

史料と研究史

研究史では「仏教系シャイレーンドラ/ヒンドゥー系サンジャヤ」の二分法が流布したが、現在は両者が同一政治圏内の諸家系・派閥として時期により優劣を転じたとみる見解が有力である。碑文学・年代測定・比較美術・地形学・GISによる水利復元など学際的手法が進展し、宗教王権・地域社会・海域交易を結ぶ複合史として再記述が進む。

用語・表記の補足

表記は「シャイレーンドラ」「サイレンドラ」「シャイルェーンドラ」など揺れがある。英字では「Sailendra」「Śailendra」を用い、碑文語はサンスクリット語と古ジャワ語が中心である。地名・人名・寺院名は多義的同定が残るため、最新の碑文学・考古学の校訂に基づく用例が採用される。