イドリーシー|ロジェール図で知られる地理学者

イドリーシー

イドリーシーは、イスラーム世界とラテン西欧の知を架橋した12世紀の地理学者である。北アフリカのサブタ(現在のセウタ)に生まれ、コルドバで学んだのち、ノルマン朝シチリアの王ロジェール2世に招かれてパレルモ宮廷で活動した。彼は世界記述書『ヌズハト・アル=ムシュターク』を編み、その付属世界図が後世に「タブラ・ロジェリアナ(Book of Roger)」として知られる。完成は西暦1154年とされ、王の命により銀盤の巨大な世界図も鋳造されたと伝わる。地中海を中心にユーラシアとアフリカを広く描写し、古典学(プトレマイオス)とイスラーム地理学、旅行者証言を折衷した点に学術的独創がある。

生涯と出自

生年はおよそ1100年頃、マグリブの有力家系イドリース朝の末裔とされる。青年期にアンダルスの学術都市コルドバで天文・数学・博物誌・地誌を修め、遍歴ののち宮廷人としての資質を買われてシチリアへ赴いた。アラビア語文化圏とラテン語文化圏に通暁し、複数言語の地名や民俗情報を整理できる素地を早くから備えていたとみられる。晩年の没年は1165/1166年説が知られ、パレルモもしくは故地で生涯を閉じたという。

シチリア宮廷での制作

ノルマン王ロジェール2世の下で、彼は国家的事業として普遍地誌の編纂に着手した。王は交易・外交・航行に資する実務的地理を求め、宮廷は各地から商人・航海者・通訳を集め、証言を組織的に聴取した。イドリーシーはそれら口述を校合し、路程・方角・気候・産物・都市階層などの情報を整序して文と図にまとめた。王の庇護は安定した研究環境をもたらし、地中海世界の複合的知識体系が一つの書物へ統合された。

『ルッジェーロの書』と世界図の特徴

『ヌズハト・アル=ムシュターク』は全地を地域ごとに記述し、付属世界図は南が上に来る伝統的方位を採る。地図像の骨格は海(地中海・紅海・大西洋)と長大な河川、主要山脈、そして都市と路程である。アフリカ内部はサハラ越えの交易路とニジェール川水系の推定を記し、ユーラシアではイベリアからブリテン、東欧、アナトリア、イラン、インド洋沿岸に至る交通の連続性を示す。図は観念的世界図ではなく、航行・陸行の経験則を重ねた実用志向の性格を帯びている。

地図像の具体要素

  • 方位は南上、気候帯は概ね7帯区分の枠組みを参照
  • 海路・陸路の日程距離と方位転折を併記し航程推算を可能化
  • 大河・山系を幹とし、都市の等級と市場圏を同心的に配置
  • 「暗黒の海」と呼ばれた大西洋の記述ではカナリア諸島伝承を採録

叙述の方法と情報源

方法論は三層から成る。第一に古典地理学(プトレマイオス『地理学』など)からの骨格継承、第二にイスラーム地誌(アル=バクリー、イブン・フワカルら)の批判的継承、第三に現地経験者の口述証言である。イドリーシーは異説を列挙しつつ整合的距離と地勢で取捨選択し、誇張や寓話を抑える姿勢を示した。計量は里程・日程など多元で、緯度概念を地物配置の検算に用いるなど、当時としては厳密であった。

自然誌・薬物誌への関心

彼は地誌本文に各地の産物・植物・鉱物・薬効を付すことが多く、地理と博物を接続した。宮廷で薬物誌・植物誌を独立著作としてまとめたとの伝承も残る。産品情報は交易路と連動し、香料・染料・金属資源の分布は地図理解に実利を与えた。自然誌的記載は風土論的説明を補強し、地域差の認識を文化・商業・技術の差異へと連結する役割を果たした。

伝播と影響

1154年本完成後、アラビア語写本は学術圏で重んじられ、やがて13世紀以降にラテン語圏でも引用・翻訳が進む。彼の世界像は修道院的マッパ・ムンディに代わる実用志向の叙述に刺激を与え、地名・路程・都市階層の信頼性が参照標準となった。港湾・商都の配置は中世末の商業革命期における地中海航路理解を支え、学術面では歴史地理学・比較地誌の基点として近代に再評価された。

研究上の論点

現代研究では、銀製世界図の実物の所在、アフリカ内陸や極北の不確実情報の処理、ナイル源流表現の出典、没年の比定などが主要論点である。とはいえ彼の作例は、情報の不確実性を自覚しつつ批判的に統合する中世実証主義の到達点を示す。地域ごとに異質な証言を距離と方角で検算し、伝聞の層位を可視化する技法は、後代の地図製作や地誌編纂に継承された。

名称・表記(補足)

本名はアブー・アブドゥッラー・ムハンマド・アル=イドリーシー。アラビア語表記に由来するため、日本語では「イドリーシー」「イドリースィー」などの転写が併存する。著作名は『ヌズハト・アル=ムシュターク』、欧語では「Tabula Rogeriana」「Book of Roger」と呼ばれる。いずれも同一の地誌・世界図複合体を指し、1154年の完成年記載が基準として用いられる。